ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

ESSEIワールド(1)

10日の金曜日には後楽園ホールへTAKAみちのくのJAST TAP OUTの興行を観に行った。みちのくプロレス旗揚げ当時、このカードを組めば絶対外さない「みちのく・ザ・ベスト」といわれた6人タッグを再現するようなカードが組まれると知ったからだ。組まれたカードは、サスケ軍がザ・グレート・サスケ&SATO=ディック東郷&獅龍&テリー・ボーイvsデルフィン軍はスペル・デルフィン&新崎人生&TAKAみちのく&二代目愚乱・浪花の8人タッグだったが、テリー・ボーイ=Men’sテイオーが体調不良で急遽、のはしたろうに変更…。「がっかりですよ」と主催者のTAKAのテンションは落ちた。1994年2月4日、旗揚げ翌年に後楽園ホール初進出で、主催者に売り上げ金を持ち逃げされた事件から30年…あの時もこれに近いサスケ軍vsデルフィン軍のタッグマッチだった。私はわざと南側の遠い席から目を細めて観ていたが、50代になった彼らはスピードこそ落ちたけど、染みついたムーヴはあの当時とほぼ変わりなかった(メデタシ…)。

代打ののはしたろうは大緊張していた。
デルフィン軍の二代目浪花は善戦した。

 4年に一度が8年経った。2016年以来、久しぶりに開催が決定。『第7回ふく面ワールドリーグ戦』は10月11日・後楽園ホール、12日が仙台・ヒルズホテルみちのくホール、13日が矢巾をツアーする。1年前あたりから「また大会執行委員長をお願いします」と人生に頼まれていたので、今回も偉そうに全戦ツアーに帯同します。今のみちのくのファンたちは私を見ても「このオッサン何者!?」と思うだろうね。ゴング、ゴングと言っても、もう通用しない世代の選手やファンがいっぱいだし、彼らがGスピを読んでいるとも思えない。先日の後楽園ホールでも「ご挨拶させてください。私は…」と、TAKAのしつけの行き届いた若い選手たちが次々にやって来たが、こっちも「元ゴングの…」では通じなさそうだった。なので途中から「私はTAKAの師匠格の清水です」に変更したら、みんな最敬礼していた(笑)。ふく面ワールドのツアーに行こうと計画されているオールドスクールの諸君は、行く先々で私に声を掛けてくださいね。まあ、同じものを30年近く観続けるということは、大変なこと…お互い表彰ものだと思うよ。

門馬さんと藤波さんのイベントに乱入?

さて、翌日土曜日には門馬忠雄さんと藤波さんのトークイベントにお呼ばれした。テーマは横浜文体だったけど、だいぶ脱線したトークになった。でも、キャリアのあるお二人のトークは、とっても素敵だった。その最後のところで私とフリーカメラマンの原悦生さんが登壇して、25日(土曜日)の我々のトークイベントの宣伝をさせていただいた。実は私が原さんにトークショーで出てほしいとオファーしたのは、2017年の夏。キラー・カーンにグラン浜田を会せる和解対談をした時だった。しかし、原さんは海外取材が多くて日程が合わず、そのうちにコロナ禍に、そして猪木さんの死…。だからオファーから実現まで7年を要した。私がどうしても、皆さんに徹底的に掘り下げて紹介したい昭和の戦友…それが原悦生カメラマンだった。それがやっと実現する。

その日、原さんと巣鴨で事前の打ち合わせをした。こういう打ち合わせは当日喋るネタを洗いざらい聞き出さないほうがいい。なぜならば、先に細かく聞いてしまうと、当日のリアクションがわざとらしくなってしまうからだ。なので、大まかな話を聞いて、深くは当日聞き出そうと思った。ところがその大まかな部分だけでも、原さんの話はマジで滅茶苦茶面白い。へーっ、そうだったんだと目に鱗の連続。というか、改めて「この人、すごい!」と感心した。原さんは私より1つ上。でも、プロレスに関わっていく方法が私とは違った。原さんがプロレスのカメラマンとしてプロレス業界、特に新日本と、そしてアントニオ猪木と関わっていく過程は実に興味深い(Gスピで連載したいほどのネタ量)。今回はそこから話をスタートしていこうと思う。プロレスのカメラマンはフリーと言っても片足をどこかの媒体に入れている人ならいた。完全なフリーで一過性ではなく永続しているフリーカメラマンは原さんが業界初であった。その原さんが私と、そしてゴングと、関わるようになったキッカケも明かして行きたい。

78年夏、浜田宅にて。ゴッチ、藤波、ハム・リー、新間氏、佐山、右端が原さん。

 私との共通項がメキシコだった。原さんは1978年に初渡墨。藤波辰巳vsレイ・メンドーサを含む1ヵ月の旅をする…そこが彼の海外初取材であった。原悦生といえばアントニオ猪木を新日本のピーク時から冥途の一歩手前まで追い続けたカメラマンで、猪木さん自身から途切れることなく絶大なる信頼を得ていたことで知られるが、もう一つの顔はサッカーのESSEI HARA。実はこちらもサッカー業界では有名すぎるカメラマンなのだ。彼はプロレスとサッカー…ほぼ2つの分野で世界中を渡り歩いた。「以前に55ヵ国まで数えたけれど、それ以降はもう数えていないですよ」と笑う。打ち合わせ中、改めて数えてみた。近場からだと韓国、北朝鮮、台湾、香港、マカオ、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナム、オーストラリア。中近東はヨルダン、シリア、サウジ、UAE、イラク、カタール。そしてソ連。アフリカは南アフリカ、チェニジア、ブルキナファソ、モロッコ、エジプト。ヨーロッパはギリシャ、イタリア、ドイツ、オーストリア、オランダ、スウェーデン、ノールウェー、デンマーク、ルーマニア、ベルギー、スイス、バチカン市国、モナコ、イギリス、アイルランド、スペイン、ポルトガル、フランス。南北アメリカはカナダ、アメリカ、キューバ、メキシコ、ニカラグア、パラグアイ、ペルー、ブラジル…。「絶対、何ヵ国か抜けているよ」…。このうちプロレス関連の取材か猪木さんに同行した国は17ヵ国に及ぶ。こんな体験をした人…恐らく原さん以外いないだろう。それだけに話が深い。今回はテーマをメキシコに絞るけど、もちろん横浜文体のように(?)脱線はOK。質問コーナーでは、みなさんが聞きたいことを原さんにぶつけてほしい。

メキシコ国立人類博物館でのアントニオ猪木(撮影:原悦生)。

イベントでは全編に原さんの美しい写真が次々に登場する。メキシコに限らず新日本マットの未公開の写真もいっぱい出てくるので、是非楽しみしていただきたい。トークイベント終了時には恐らく分厚い写真集を2、3冊見終えた満足感が得られると思う。それなので是非、よい席でご覧になってほしい。

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