トークイベントの後もフエルサ・ゲレーラ一家(5人)のアテンドは続いた。イベントが終わったからと言って、そこでリリースしてしまうのは日本人として、アミーゴとして薄情だと思った。もし放置したら路頭に迷うのは明白…それは最初の3日間でわかった。電車のチケット1枚買えないのだから…。ここは無理をしてもガイドを続けようと思った。それと情が移ったのもある。妻が去って2年、残されたのは私と息子だけ。それも別々に暮らしている。大勢のファミリーが羨ましく思った。だからこのファミリーに尽くして自分も同化しようとしたのだ。
途中から「トマス、貴方も私のファミリーだよ」とフエルサと家族たち全員がそう言ってくれた。ほぼ毎日、朝から晩までメヒカーノスと一緒に行動すれば自然とそうなる。先週の水曜日は横浜の「みなとみらい」へ。金曜日は富士山へスキーにしに行った。
土曜日は鎌倉へ行き、横浜のデパートでお買い物。日曜日、彼らはお台場へ行っている。この家族は本当にタフだ。一行はお台場から船に乗って浅草に。彼らは先週の月曜日「はとバス」で浅草に来ていた。その日こそオフにしようと思ったけど、ちょっと心配になったので私は息子を連れて浅草でフエルサ一家と合流する。そこから東京駅のキャラクターストリートへ行ってお買い物。
こうなったら、とことん付き合おう。月曜日は渋谷でショッピングして、夜はメキシコ料理屋さんでタコスをパクつく。そして火曜日。ついに帰国の日がやってきた。ホテルに挨拶に行き、別れを惜しんだ。
これほど日本に来たメキシカンをアテンドしたことはない。マスカラスだって3日一緒にしたら、さすがに「ノー・マス」となるが、このファミリーに対しては、そういう気持ちにはならなかった。この13日間、フエルサとはいろんな話をした。日本が先の大戦で敗れた後のアメリカの戦後処理の問題、1月1日の能登半島地震のこと、日本の少子化問題、リニアモーターカーが完成したらどうなる問題、富士山が再び噴火したらどうなる問題、そして最大のテーマは日本人についてだった。
「何で日本人はこんなにも礼儀正しく、規律がしっかりしていて、みんな親切なんだ?それになんで街がこんなに綺麗なんだ? すごいよ、日本人」(フエルサ)
「それは学校の教育や親の躾でしょう。武士の時代から礼を重んじ、寺子屋の時代から様々な教育を受けて来たから…。ただしね、日本人よりもメキシコ人のほうが素晴らしいこともあるよ。それは家族愛。メキシコ人は家族への愛情が深い。家族の情が深い。そして常に愛情を確かめ合う…」
フエルサは70歳、愛妻のマルガリータさんは67歳。2人が結婚したのは1971年…フエルサ17歳、マルガリータさんが15歳の時だったという。こんなに美しく仲のいい夫婦はなかなかいない。羨ましい限りだ。
私はフエルサにこう言った。「メキシコ人は家族が第一…でも日本人は自分たちの家族に対してちょっと冷たい。家族よりも仕事が第一なところがある。仕事優先なんだ、この国は」
「そ、そんなんだあ…」と驚くフエルサ。
「どっちが幸せと言えば、日本人よりも貴方たちメキシコ人かもしれないね」
だからこそ、私はフエルサ・ファミリーと一緒の時間がとってもハッピーだった。昨日、火曜日夕方の便で、彼らはメキシコへ帰って行った。
「日本で、何が一番の思い出かって? 全部だよ。今年またメキシコに来るんだろ。その時は私の家に招待するよ。去年みたいに今年もまたメキシコ観光がルチャの観戦ツアーをやるというなら、全員ウチに連れてきなさい。待っているよ」。
フエルサ一家が去ってしまった私に、また「仕事第一」の日々が始まった…。