5週間続けて来た北海道に残る昭和プロレス体育館探訪シリーズ…今週が最後になる。私の今回の北海道ツアーは、大学生だった1975年、76年、77年にバイクでツーリング&登山、結婚して84年、85年、86年に車で妻と旅した軌跡を辿るとともに過去に行ってない僻地を複数年かけてじっくり、くまなく巡るのが目的であった。北海道に限らずなのだが日本の観光地は現在、何処へ行っても隣国の東アジア人だらけ。だから今回の私は観光地を避けてコースを切った。彼らが来ない日本人のみぞ知るコアな歴史的な史跡、あるいは彼らが歩いてまで登って来ないような秘境を巡って来た。ただ、それでも現場へ行くと人間の視線で観られるものに限界を感じた。そこで活用したのがドローンだ。ドローンだと、鳥のような高い位置から北海道の大自然を自由自在に撮れる(巌流島の時にドローンがあったら面白い絵がたくさん撮れたのにと思った…)。この旅の途中から、その面白さにハマってしまった。以前に比べ操縦の腕も少しずつ上げた。これが私の新しい趣味になりそうだ。来年もこの時期に北海道に来て、鳥人間になろうと思った。

さて私は美唄から夕張、穂別を経て日高に南下し、門別競馬を楽しみ静内泊。翌日、平取でチャシ(アイヌの城)をいくつか巡る。白老では仙台藩の陣屋(vsロシアの海上警備のための出張場のような城郭)を再訪する。今回の旅では道南に点在する南部藩、庄内藩の東北諸藩の陣屋も数ヵ所観てまわったし、道南十二館という安東氏の城郭にもいくつか立ち寄った。これらは全部、国の指定史跡だというのに、外国人観光客はおろか日本人の姿もない(熊はごめんだが、人が誰も来ないというのは、たまらなくいい!)。お陰でドローンをビュンビュン飛ばせた。その日は東室蘭で泊まる。室蘭は製鉄の街。現在は8万人都市だが、1969年のピーク時には18万人に達した道内屈指の工業港湾都市であった。ここに最初にプロレスがやって来たのは1959年5月8日、輪西神社境内で、力道山&豊登vsミスター・アトミック&ダニー・プレシャスがメインだった。製鉄工場の守護神として建立された輪西神社は現在の場所に昭和4年からあるようだ。

次の室蘭でのプロレス開催は67年6月2日、「室蘭市富士鉄健保体育館」である。なぜかここからのテレビ中継が何度もあった。この日のメインが馬場&猪木&上田vsドン・レオ・ジョナサン&リップ・ホーク&ダッチ・サベージで、テレビは生中継であった。この体育館は竣工が1961年と、かなり古い。お隣のプロ野球仕様の野球場も、この体育館も、カマボコ型の屋内プールも、みんな富士製鉄が作らせたもの。さすが当時日本第2位の鉄鋼会社だ。体育館は三階建ての一辺48メートルの四角形で広い空間を確保した。雪の少ない室蘭だから出来た設計らしい。また映画や音楽会が出来るように音響特製にも優れ、温風暖房もある最新の建物だったという。ここで有名なのはNWA世界ヘビー級王者ジン・キニスキーに猪木がメインエベントでアタック(ノンタイトル戦)した68年11月29日のテレビマッチ(生中継)。馬場のインター戦の露払いで挑んで敗れたものの、私はアントニオ猪木のナンバーワンの名勝負であったと今も思っている。

ちなみに日プロは69年には5月と12月に2度ここを使用。12月5日大会のメイン馬場&猪木&大木vsドリー&レイス&ラモスがメインであった(12月26日に録画放映)。日プロは70年7月に使用したのが最後(生中継)。一方、北海道に強い国際がこの体育館を一度も使用したことがないのはプロモーターの力関係か…。次は全日本が74年5月9日大会で初使用している。新日本は同年10月30日にここで初めて興行を打った。私の19歳の誕生日…75年11月30日の全日本がここでの最後のプロレス興行だったようだ。61年竣工というから既に64年が経過している。さすがにもう体育館はないだろうが、跡地だけでもいいからどんな場所にあったのか行ってみることにした。力道山が境内で試合をした輪西神社を確認。そこから僅か200m北の奥の丘にナント!キニスキーvs猪木のあの体育館は現存していたのだ。おおおっ、これは今回の旅で一番驚くべき発見であった。


入口には「NIPPON STEEL北日本製鉄所 体育館」と新しめの看板が上がっていたが、あまり使用感はなかったものの現役のようだ。富士鉄は70年に八幡製鐵と合併し、新日鉄となり、現在は日本製鉄となっている。人の気配がなく、閉ざされて中には入れなかったが、とにかく大きくドッシリした外観のビッグアリーナだ。64年経った建物が今も壊さず残っているのは、他の体育館と違ってしっかり作られている証拠。恐らく日本の体育館としての建物では最古級の部類に入るのではないだろうか。ちなみに札幌中島体育センターは1954年8月1日開場で2000年に閉館した。それより1年早く北海道開発大博覧会のために建てられた旭川市総合体育館常盤分館も93年に閉館している(蔵前国技館が54年~84年、旧大阪府立が52年~85年)。昭和中期の建物の耐用年数は50年以下ということになる。そう思うとここが64歳で現存するというのは、どれだけ頑丈に作られたのかがわかる。ドローンを飛ばしてみると、昔あったカマボコ屋根の屋内プールは既になく、隣の野球場も健在であった。

私の泊まった東室蘭のホテルの近く、宮の森町に「室蘭市総合体育館」があった。この体育館は74年に完成し、翌75年6月10日に新日本がここを初使用している。メインは坂口征二&ストロング小林vsグレッグ・バレンタイン&ザ・プロフェッショナル(ダグ・ギルバート)、セミが猪木vsマスクド・グラディエーター(ジルベール・ボワニー)。大塚直樹さんによれば室蘭は小樽と一緒で「太平洋プロダクション」。最高時には興行を270万円で買ってくれたらしい。以後、新日本は毎年のようにここを使うようになり、全日本もそれに習う。こうして前述の富士鉄の健保体育館はプロレスの歴史の表舞台から静かに消えていったのだ。

さて、この室蘭市総合体育館でプロレス史上、最も有名になってしまったのが81年8月6日の国際プロレス『ビッグ・サマー・シリーズ』第10戦。これが国際にとって初の室蘭開催であった。ここでラッシャー木村がジ・エンフォーサーを相手に国際最後のIWA世界ヘビー級選手権をやっているのは、このコラムの愛読者ならばみなさんならばご存知のことと思う。逆に84年1月10日、全日本がここでジャンボ鶴田vsスティーブ・オルソノスキーのインターナショナル・ヘビー級選手権をやったことを知る人の方が少ないのでは…。そう言えば、私のトークイベントで、どなたかこの室蘭のIWA戦を観られたという方から声をかけられたことがある。聞けば客席はガラガラだったらしい。「それはとっても貴重な体験ですよ」とお話させてもらった。

マイティ井上さんの話によれば、この室蘭で選手会長の木村さんに「東京からの連絡だと、この北海道ツアーでウチは最後になる」と告げられたらしい。この時の国際プロレス一行の宿は東室蘭駅前の第一ホテルで、会場から徒歩10分弱の場所だ。その後、美唄、根室を経て羅臼で国際は絶命する。ちなみに羅臼の翌日、一行は札幌に泊まり、8月11日に奄美さん宅でお線香を上げた後、室蘭からフェリーで内地の八戸に渡っている。夕方から夜までフェリーを待つ間、選手たちは室蘭市内のパチンコや映画館で時間を潰したという。

私は今回、「室蘭市富士鉄健保体育館」より先にこっちの市の体育館に寄っている。中島公園の中にその体育館は、「おおっ、まだあるじゃん、あるじゃん!」と鎮座していた(んっ、中島公園の中?何処かで聞いたような響きだなあ…)。その体育館は、かなり大きな建物であった。ただ耳にしてはいたものの、やっぱり…形こそあれ、体育館は呼吸をしていなかった。老朽化と耐震等安全基準を維持できず、2022年3月21日の21時をもって閉館されていたのだ。入口は板が打たれて閉鎖され、中に貼ってあった「51年間ありがとう」というポスターが泣かせた。市民に愛された体育館だったのであろう。


22年4月、入江町に「栗林商会アリーナ」という新体育館がオープンしている。私には不要なので寄ることはなかった。私の好物は哀愁をおびた昭和の体育館だからだ。江戸時代の現存12天守ならば喜んで上ったり、写真をいろいろ撮るが、昭和以降に建てられたコンクリート製の復興天守や模擬天守にまったく無関心なのと似たことである。それにしても室蘭で2つも著名な体育館が建物だけでも現存している事実に接し、胸が洗われる思いがした。ほとんど期待していなかったのに室蘭での取れ高はとっても大きかった。市の体育館のほうは近々恐らく取り壊されてしまうであろう。国際プロレス大エースのラッシャー木村が最後にメインを張った「金網の鬼の聖地」を見たい人はお早めに…。ということで、室蘭の後、登別、支笏・洞爺を経て函館へ、そして青森~横浜と走りまくり、ブルー・デモン号による計5000キロに及ぶ私の『サマー・ファイト・シリーズ』は終了した。シリーズということは来年の北海道巡業もあるということ。私の頭の中では、もうすでに来年の巡業ルートがほぼ出来上がっている。そのコース上にある昭和の体育館は来夏まで取り壊されずにあるだろうか…。さて、現実に戻って8月30日はグレート・サスケとのトークショーを成功させないとね。そして9月にはメキシコツアー…(アイヌ語は憶えたけど、スペイン語は忘れたなあ)。その前に、このクソ暑い夏を乗り切る体力が必要だ。みなさんも身体を壊さないように猛暑のサマー・ミステリーを乗り切ってください。
