ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第770回】北オホーツクを南下

中頓別鍾乳洞は閉鎖していた。

利尻・礼文で1週間過ごした私は稚内に戻る。そして翌日、日本最北端の宗谷岬を回ってオホーツク海の海岸線を南下するルートを取ることにする。国道238号線は稚内から網走まで319㌔続くロングロードで、路線番号が3桁の国道の中で最長である。宗谷岬へ行くのは23年ぶり5度目。私は、風雪で高い木の生えない荒涼とした宗谷丘陵の風景が礼文にも似ていて好きだ。

新日本プロレスご一行が最北端に。

この写真は1981年7月17日、稚内市体育館で新日本が試合した時(サマー・ファイト・シリーズ第13戦)に宗谷岬に立ち寄った時のもの。タイガーマスク(佐山聡)はサミー・リーとして最後のイギリス遠征をしていたので、ここにはいない。合流するのは31日の大阪臨海からだ。この時の新日本は前日が北見で、翌日が名寄というコースだった。

観光客は、岬の突端にある北極星の一稜をモチーフにした三角のモニュメント(地碑)で必ず記念撮影をする。アントニオ猪木率いる新日本一行も同様だった。

実はここが本当の日本最北端ではないことを私は最近知った。宗谷岬から西北西に2㌔くらい沖に浮かぶ弁天島がリアルな最北端なのである。だが、そこは上陸不可の岩礁だった。「その距離ならば行ける」と私はドローンを飛ばした。それが下の写真だ。天気はイマイチだけど、弁天島とバックに宗谷岬が入るいい絵が撮れたと思う。

弁天島は海鳥の糞だらけだった。

さて、私は宗谷岬から南下して、日本最北の村、猿払へ向かう。私は猿払村周辺で猿骨沼、キモマ沼、ポロ沼、カムイト沼、瓢箪沼、第一沼、第二沼、モケウニ沼、小沼など、観光客が決して寄り付かない北オホーツクの無名の湖沼を片っ端から見て回り、ドローンを飛ばした。

猿払村の湖沼群。奥はオホーツク海。

天然ホタテの水揚げで有名な日本で二番目に広い村・猿払の民宿で一泊して、さらに南下。お隣はクッチャロ湖のある浜頓別町に入る。昔、浜頓別のユースホステルにはよく泊まったものだが、周辺にかつての面影はない。

浜頓別駅には興浜北線と天北線が来ていたが、80年代にどちらも廃線になっている。だが、町の中心部は新しく区画整理されていた。

出発前の調べで、昭和期に浜頓別でプロレス試合はなかった……と思う(女子プロは含まず)。近年では2005年8月28日に浜頓別町多目的アリーナで全日本が試合をしている(地元インディーは含まず)。2007年には新日本もここで試合をしていた。「道の駅北オホーツクはまとんべつ」の隣にある、92年10月完成の平成の体育館だ。

“昭和物件”の引きだけを望む私にとって、このお魚はリリースだ。すると町はずれに古風な小さな体育館を発見!

浜頓別町青少年会館は築55年の物件。

“ええっ、ナニコレ、古い!”……車を止めて、思わず駆け寄ったこの施設には「浜頓別町青少年会館」という看板があがっていた。

道内には滝川市、芦別市、根室市、大樹町など、“青年”や“青少年”と名の付く体育施設がある。ここもその類のものか……。

調べると71年12月に完成したという、かなり古い昭和物件であることがわかった(78年10月に奥手に増設)。それにしても、道内のマイナー市町村体育館を網羅してきた国際プロレス……辣腕・梅野則夫営業部長がここをゲットできなかったのは、何か理由があったように思ってしまう。

ただ、近年ここを使った団体がある。大日本プロレスだ。大日本は2017年10月12日と2018年7月3日にここで試合をしている。開催には町の後押しもあったようだ。男子プロレスとして初めて利尻・礼文へ上陸させた小鹿さんの尽力が、ここでもあったのではないだろうか。

後日、耳にしたところによると、女子プロの唯我がこの浜頓別の生まれだそうだ。

浜頓別町のシンボルはクッチャロ湖。

さて、浜頓別町から南に下ると枝幸町だ。道南の江差町と同名なので混同されることがある。こちらは「オホーツク海側の枝幸町」「道北の枝幸町」……あるいは「北見枝幸町」と呼んで区別しているようだ。

毛ガニと鮭の水揚げは日本有数の町で、人口は7000人弱で、70年代には倍以上だった。ここでは69年8月23日、「枝幸総合グラウンド」において国際プロレスが興行を打っている。『ビッグ・サマー・シリーズ』第30戦がそれ。

その日には、何とメインではヨーロッパ・タッグ選手権が組まれた。グレート草津&ラッシャー木村vsオックス・ベーカー&ティト・コパの6度目の防衛戦だ。平成以降のインディーに関しては知らないが、恐らく日本最北で行われたタイトルマッチであろう。

翌日の名寄市営球場でサンダー杉山&木村vsニキタ・マルコビッチ&スタン・ザ・ムース(ムース・モロウスキー)のTWWA世界タッグが行われたことは、4週間前に書いている。その名寄よりも枝幸は北に位置する。

世界タイトルならば少し理解できるが、オホーツク海のこの小さな町とヨーロッパに何の繋がりがあるのか……と首を捻ってしまう。この時期、豊登&小林もIWA世界タッグ王者だったので、国際では3つのタッグ王者がごちゃついていたことは確かだ。

ドローンを飛ばして球場を撮ったのだが、町役場にお尋ねしたら、旧グラウンドは壊して現在の人工芝のサッカー場になっているとか(外したなあ……)。つまり、ヨーロッパ・タッグをやった枝幸総合グラウンドは現存しないということである。

人間風車も来た枝幸町中学校の体育館。

球場のある北幸公園内には82年10月に立派な総合体育館が出来ていたが、その前年に全日本が枝幸に来ている。使ったのは枝幸町中学校体育館だった。『サマー・アクション・シリーズ』第8戦(81年7月14日)。

メインは馬場&鶴田&石川vsビル・ロビンソン&ディック・スレーター&ボビー・ヒーナンの6人タッグ。セミはトーア・カマタ&グレート・マーシャルボーグvs大木&小鹿、その下が天龍vsラリー・ズビスコ。この前日の砂川市総合体育館では鶴田vsスレーターのUNヘビー級選手権があった。そして翌日の大会が、5週前のここで触れた深川市緑町子供野球場である。

私はここからさらに238号線をひたすら南下して雄武(おうむ)を経て興部(おこっぺ)へ……。この辺りの町にはプロレスが来た形跡はない。道北自体がそうなのだが、特に宗谷岬からここまでのオホーツク海の北沿岸は、プロレス不毛地帯と言っていいだろう。

どこまでも続く青い海は、2月になると流氷で真っ白に閉ざされる。去年6月、函館を起点に渡島半島から、ずっと続けてきた旅では、常に日本海側を走って来た。だからいつも海に夕陽が沈むのが当たり前だった。

ところが宗谷岬を回り込んでオホーツク海側に出ると一変する。朝日が海から昇るのである。

オホーツクから昇る日の出岬の日の出。

私が泊まった日の出岬の日の出は午前4時10分で、3時半くらいから明るくなる。白夜ではないが、一日が長い……。来週は北海道レポートの最終回です……。

このメンバーで4回分を収録。

さて、先日、六本木で『プロレス金曜8時ゴールデンアワー』というYouTubeの収録をしてきた。その番宣……。

初回は28日(金)20時からで、ゲストはエル・サムライ。論客陣はプロレス評論家の流智美氏、GKこと金沢克彦氏、そして私が出演。司会はユリオカ超特Qさん。

第1回のテーマは「サムライを大いに語ろう」。

私は、エル・サムライはメキシコ修行(91年4月~92年2月)でほぼ何もしていなかったと思っている。現地での実績はなしに近い(ちょっと言い過ぎか……)。

でも、それで良かったと思っている。松田納はその直前にイギリスへ修行に出たけど、ビザが不完全だったために日本へ強制送還された。それでメキシコへ回されたのだ。

だが、そこには浜田、浅井、秋吉、高山らが居て、日本人選手が飽和状態だった。そこでカルロス・マイネスにエル・サムライの名前を与えられ、マスクマンに変身する……それだけで“良し!”だったのである。

「エル・サムライ」のラベルを貼られた奥州産のワインは、メキシコで10ヵ月寝かされていたのだ。何もせず寝ていたから良かった……のだ。それで日本に戻った時に開封したら、とっても旨い、美味い……巧い選手になっていたというわけである。

GスピVol.39のインタビューの際に彼が何度も口にしていたのは、「自分は松田納のままだったら駄目だったでしょうね。マスクを被ってエル・サムライになれたから良かったんですよ」。

もし、強制送還されずにあのままイギリスで修行していたら、マスクマン=エル・サムライは存在しなかった……のである。

さて、今度の収録現場では果たしてどんな話が飛び出したのか、乞うご期待。

エル・サムライと初めてのツーショット。

第2回目は9月4日(金)の配信。テーマは「最強マスクマン 昭和編」。これ以外にも「最強マスクマン 平成編」と「私のイチオシのマスクマン」も同じメンバーで収録している。3回目以降の配信に関しては現在、調整中とのこと。

まずは今週金曜日午後8時の初回からご覧になってください。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅