28日、戸口さんから電話があった。「西村(修)が亡くなったの知っている?」。「いや、本当に!えええっ」でした。食道ガンと脳腫瘍と戦っているとは耳にしていたけど…53歳という若さで、まさかの悲報である。彼が新日本に入門したのは、私が週刊ゴングの編集長になった翌年だった。デビューしたのは91年で3ヵ月後にはもう初勝利を挙げ、いい新人が入ったと思った。後楽園の控室で「ご挨拶が遅れました。私は西村修と申します。よろしくお願いいたします」と挨拶してきた。とても礼儀の正しい好青年だった。「文京区の出身なんだってね」と問うと、「はい、自転車ならばゴングさんの編集部も近いですよ」とニッコリ笑う。すでに文京区愛をチラつかせていた。その優しい笑顔は品のいい学生さんみたいに映った。西村修は古き良き昭和のプロレスを愛し、刻々と変化するデンジャラスなプロレスに染まらず、クラシカルな日・米・英のプロレスを探求した稀有な求道者だったといえる。そして私も長年、仕事場として愛着の深い文京区のために区議として活躍された。まだまだやりたいことがあっただろう。無念だったであろう。でも、今は苦しむこと悩むこともなく静かに眠ってほしい。改めてご冥福をお祈りしたいと思います。

で、何で戸口さんが西村さんの訃報をこんな早く仕入れたのだろうか。何か繋がりがあったっけ…?「いやね、俺は前から西村と連絡をとっていて、いろいろガンに対する知識を授けてもらっていたのよ。その関係で亡くなったことが俺の耳に早く飛び込んで来たのよ」。んっ、そう、実のところ戸口さんは1月末に検査入院して「肝細胞癌」という宣告を受けていたのだ。以前からそういう疑いがあって、西村さんに電話してアドバイスを受けていたというのである。「俺のはさ、手術するの無理って言われた。だから再入院して抗がん剤を投与してもらったんだ」。そういえば先月12日、取材で久々に戸口さんに会った。抗がん剤を打って数日後で、やや痩せ気味で、咳き込んで声も小さくて辛そうだった。あんないつも毒ガスを吐き続けてきた男が「もう駄目かもしれないな」と弱気だった…。

その後、戸口さんに電話したら、「今日の俺の声、張っているだろ」って…確かに声だけ聞けば元気そう。「あのな、いいこと教えてあげるよ」。「うっ、また始まったか!今度は何だ?」。「俺の友だちがさ、一昨日ガンに効く薬を持って来てくれて、それを飲んだら調子がいいんだよ。液体で、朝昼晩飲むわけ。飲んだ後1時間は水分摂ってはいけないんだ」。「何、その薬、大丈夫なの?」。怪しいけど、確かにこの間よりもハイテンションで、声も大きい。「まだ飲み始めて1日なんだけど、調子いいから続けるよ。また今月も抗がん剤を打つんだけどな」と言う。「飲み合わせが悪くて副作用が出るんじゃないの?ちゃんと先生に言わなければ…」と嗜める。たださえステロイドの後遺症でここ数年、心臓肥大して苦しんでいたのだから…。「駄目、止めな」と言っても飲むだろうから、しばらく経過を観察することにしよう(私もドクトルなので…)。それにしても、真面目にガンに向き合って戦い続けてきた平成の理論派常識人・西村修に対して、この人は明らかに正反対のコーナーに立って居て、「ドクを喰らわば…」という昭和プロレスのヒール伝説を令和の世でも押し通そうとする豪傑である。とはいえ、心配は心配だ。

さて27日と28日は新日本プロレス『ファンタスティカマニア2025』へ足を運んだ。どちらも満員御礼。菅林会長が「このシリーズで一番なのはアベルノですよ」とイチオシするように13年ぶりの来日となるベテランが光った。初来日は馬場さんの亡くなった直後、リングネームはレンコール・ラティーノ…あれから26年が経つのか。アベルノは、その動きだけを追っていると、ルチャの奥義が見えてくる。28日のメイン、懐かしの抗争の再現…ミスティコvsアベルノは、グランドフィナーレに相応しい時空を超えた名勝負であったと思う。

今回は両日、各7試合の中で出たスイシーダ(場外へ飛び出る空中殺法)をカウントしてみた。27日、赤コーナーの選手(大半がテクニコス)が13発。青コーナーの選手(大半がルードス)3発。計16発でした。そして28日、赤コーナーの選手(大半がテクニコス)が21発。青コーナーの選手(大半がルードス)は5発。前日の倍、計26発でした。その中で「あっ、これは危険!」と思った自爆が2発あったけど、大怪我に繋がらなくて安心。両日で感じたお客さんの熱量は相当なもの…その熱い気持ちを持って今度は是非、本場メキシコへ飛んでほしい。彼らが総本山のアレナ・メヒコや伝統のコリセオという器で、地元の超熱狂的なファンたちの中で、どんな戦いを繰り広げているのか、肌で感じてもらいたい。ということで、8月と9月に内定している「ルチャ・リブレ観戦ツアー」に是非、お越しください。お問い合わせは、安心安全の『メキシコ観光』(伊藤まで)。