ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第686回】巌流島からメヒコへ

日曜日の巌流島トークショーはお陰様で盛況でした。ご来場いただいた方には感謝申し上げます。本来ならばリモート出演の予定だった上井さんが突然の来場!俄然、場内は盛り上がりました。熱血営業マンとして知られる上井氏が「自分の営業人生で最も思い出深いのが巌流島です。このことを思い切り喋れる日が来るなんて…」と8月末の打ち合わせの時に言っておられた。「でも、こんなにお客さんが集まってくれているのにリモートでは失礼と思って、やって来ました」。うーん、粋な方ですね。生の声を聞けて、みなさんハッピーでしたよ。

おおっ、上井さんが生出演!

上井さんには巌流島でプロレスの試合を…という経緯や、それが猪木vsマサ斎藤になった訳、島でイベントが開催できるようになった裏、前日に島に運び込んだ機材のすべてをお聞きした。上井文彦の「巌流島ファイル」には下関市長と取り交わした利用許可書、当日の島に渡るマスコミの名簿など37年前の関係書類が多数残っていた。感覚と記憶だけで喋るのではなく、こうした書類を持っていること自体すごいと思った。今回で54回…今まで多くのゲストを私のトークショーに招いて来たけど、営業活動もしてくれて、自分で関係書類を持参してくれたゲストは初めてである。その上に記憶力が素晴らしい。それだけあの巌流島決戦に対する思い入れも深いのだと感じた。

上井さんのトークは熱いね。

今回のイベントは特別編集したDVDとして闘道館から販売されることになるというので、トークの中身に関して、ここで多くを書くつもりはない。でも、このトークショー内で語られなかった話は書き残しておきたい。
機材の中に篝火と薪があった。ゴングとしては、もし試合が夕刻に始まると、猪木も斎藤も出て来ない巻頭カラーの前半8ページも作らなければならなくなる。夜明けから島にいるが、島内で待っているだけでは埒が明かない。「猪木さんを捕まえに行こう!」。そこで私は田中幸彦記者を他社に気づかれず島からこっそり脱出させて猪木さんを探しに下関市内へ送り出したのだ。
ペペの愛称を持つ田中君は小回りが利くし、とっても押しの強いタイプ…適任だと思った。私は彼に懸けた。広い下関市内の中から猪木さんが潜む宿を発見したのだ。上井さんは「猪木さんが泊まっている“みもすそ川別館”は他の人間に見つかることは絶対になかったのに…田中さんはすごいね。どうやって探したんだろう。私でさえ試合前に猪木さんに会ってないのに…」と、ただただ驚くばかり。
今回、このトークショーに田中君を呼びたいと声を掛けたのだけど、当日は仕事があって不参加との連絡が入る。でもメールで「どうやって猪木さんの居る旅館を嗅ぎつけたの!?」という質問だけを当日の朝、彼に送っておいた。

右がペペ田中記者。左は河口仁さん。

その答えはペペから14時過ぎに来ていたけど、イベントが始まっていて気づかずにいた。気づいたのはイベント後だった。そこにはこう書かれていた。『冨家先生が(猪木さんから)呼び出しがかかっていて、一緒の舟で本土に戻ったんじゃないですか。(猪木さんの宿に)連れて行ってもらえるかなと期待したけどダメ。答えとしては(冨家先生の)乗ったタクシーのナンバープレートと会社名を控えておいたのです。マサさんの宿は東急インとわかっていたので、まずそこでマサさんの行動を調査。冨家先生と同じ会社のタクシーに乗ったので、営業事務所に確認してもらって、潜伏先(みもすそ川別館)に向かいました』とあった。ぺぺちゃん、なかなかやるね。12時30分、アントニオ猪木を発見。「探しましたよ」と田中記者が言うと「俺は隠れてなんかないよ。熱は下がってきたけど身体の調子は悪い。16時くらいが一番身体が動くと思う」と猪木さん。そこで昼飯にお蕎麦を注文し、その後に和紙に遺言ともとれる会社宛ての覚悟の書をしたためる。それを取材して田中記者は人知れず島に戻って来た。報告を聞いて「よくやった」と握手。彼こそ、巌流島取材の影の功労者であった。猪木さんが宿を出て江の浦から舟に乗ったのは14時9分。私はトランシーバーで「猪木さん、出ます」という新日本の通信を傍受していた。上井さんは「ゴングさんがそんな動きをしていたとは、やられたと思いましたよ。田中さんもゴングのスタッフたちも、すごいですね」と感心しておられた。上井さんもそうだが、我々もやるべき仕事をあの島でしたまでのこと、である。

みもすそ川別館に居た猪木さん。

今回は過去最長 4時間10分のロングトークに…。まさに「ビバラ史上最も長い日…」になってしまった。最後には上井さんが現地へ行って直接手配してくださった巌流焼きの特別セットやDVD、Tシャツ、小林君が手造りした巌流島決戦ミニチュアの幟と試合パネルなどをジャンケンでプレゼント。楽しい時間は風のように通り過ぎた。

小林氏作のミニ幟はよく出来ている。

無観客の孤島での野戦…かつてない誰もやったことのない舞台設定を準備した上井さん、ゴング誌史上最大の取材体勢、そして主役のアントニオ猪木とマサ斎藤両雄の思惑が絡み合った巌流島決戦…37年前のあの日、それぞれが島内と島外で闘っていたのだ。それを今回のトークイベントで検証することが出来てとても有意義であった。お越しになれなかった方には是非、DVDを買って巌流島決戦の裏舞台を楽しんでもらいたいと思う。そうそう、最後にこれをトークショーで語り忘れていたという上井さんからの一言。「巌流島決闘の翌日(10月5日)、午前10時半に下関市役所の市長室を倍賞鉄夫取締役と自分がお礼の表敬をして巌流島観光開発に役立ててくださいと100万円を寄付しております」。下関出身の上井さんにとって、地元への恩返し。それは誉れともいうべき出来事だったと思うのであります。

最後に記念撮影を。

さて、巌流島の次はメヒコ…11月2日(土)の闘道館は『ドクトル・ルチャと行く 2024ルチャ・リブレ観戦ツアー報告会』を開催します。「一生に一度は本場メキシコでルチャを観戦したい」「現地でレジェンドたちから直接マスクを買いたい」「歴史あるアレナ・メヒコやコリセオ、マスク工房にも行ってみたい」「危険だと言うけど、安全に安心してメヒコへ行きたい」「どうせ行くならばドクトルと行ってみたい」という方たち…主催のメキシコ観光では来年もマニアックなツアーを企画しています。その参考としてこの2024ツアー報告会を参加費最安価にて企画しました。「次回もアナタの人生観を一変するルチャ三昧の旅」を提供することをお約束いたします。当日はレアな試合用マスクが当たる抽選会や現地グッズの即売、参加者全員へのプレゼントも用意しています。是非、アミーゴ、アミーガお誘いの上、ご参加お待ちしています。

来週は「第7回ふく面ワールドリーグ戦」の実行委員長として矢巾まで行って、その後、遠野や三陸など盛岡県下を旅するので、コラムはお休み。また何か旅の土産話を持ち帰りたいと思う。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅