ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第774回】さらば、ベビー

メキシコツアーの最中のこと…“ルチャ・リブレの日”(メキシコ国民の休日=9月21日)のアレナ・プエブラで、リング上に全選手が上がってセレモニーが行われた。それは前日に亡くなったフランコ・コロンボの死を弔うものであった。日本ならば10カウントゴングだが、メキシコでは選手全員がリングインし、1分間の拍手をする。天国へ故人を送る儀式である。

プエブラのリングで追悼の儀式。

フランコ・コロンボは未来日のルチャドールだから馴染みがないかもしれないが、ルーシュやドラゴン・リーの叔父さんといえばピンとくる人がいるかも…。本名はハビエル・ディスカルサ・コロナド。1953年8月11日、グアダラハラ生まれで、ディアブロ・ベラスコに師事して75年9月にサンルイスポトシでデビューしたテクニコだ。79年に西部地区ウェルター級王者になり、メキシコシティ行きのチケットを手に入れ、80年11月1日にアメリコ・ロッカを倒してナショナル・ウェルター級王者になった。82年8月17日のアレナ・コリセオでファイサンと組んでマヌエル・ロブレス&パニコの髪とマスクを剥いだことが一番の大仕事だろうか。

若き日のフランコ・コロンボ。


引退後はアレナ・メヒコでコーチをするとともに、パコ・アロンソ代表に才覚を認められて、パニコ、ホセ・ルイス・フェリシアーノらとともにCMLLの中枢であるアレナ・メヒコのプログラマドール(マッチメーカー)として長く尽力してきた。私がマッチメーカー室へ顔を出すと、選手たちの前ではいつも怖い顔の人なのだが、必ず笑顔で迎えてくれた。また一人、ベラスコ門下の本格派のOBが亡くなってしまった。残念である。享年73歳。ご冥福をお祈りします。

左からコロンボ、パニコ、フェリシアーノ。

そして帰国した途端、次の訃報が飛び込んで来た。グラン浜田やタイガーマスクと名勝負を残したベビー・フェース(ホセ・グアダルーペ・フエンテス・オチョア)の死であった。

ベビーは我々ツアー一行が飛行機に乗って太平洋を飛んで帰って来る時に亡くなっていたのだ。実は今回、私がメキシコに先乗りしたのは、ベビーの取材をしたいと思っていたからだ。

アレナ・メヒコ近くの路上で屋台のチャーハン屋を出して30年…いつも行けば会えるルチャドールOBとして、ベビーは誰からも愛されていた。私もメヒコへ行くたびにチャーハンを食べに行った(いつもコーラはタダにしてくれたし、メニューにないトッピングをしてくれた)。

ありし日のベビーと、お店の前で。


でも、近年、ベビーの姿が屋台になかった。恐らく身体を壊して自宅にいるのだろうと思っていた。パンテーラに「ベビーに会いたいんだけど、どうしているか知っている? 身体悪いのかな?」と聞くと、「一番仲がいいのはベビー・リチャードだから、彼に聞いてみるか」と連絡を入れてくれた。

リチャードはベビー・フェースからベビーの名を貰ったという弟分であった。「ベビーは入院していて人工呼吸器をつけて危篤状態だよ。奥さんが付き切りで看病していて、息子が週末だけ店に出ている」とリチャード。

覚悟はしていたとはいえ、もう逝っちゃうとはね…。79年からの長いアミーゴ…また一人天国に召された。享年79歳。ご冥福をお祈りいたします。ベビーに関してはGスピで近々彼の生涯を書こうと思う。

81年、ナショナル王者時代が全盛期。

さて、先週お伝えしたように、『ドクトル・ルチャと行くルチャ・リブレ・ツアー2026報告会』を10月31日の闘道館で開催します。

出演者は、あの有田哲平、中村獅童、博多大吉を個人アテンドした“ルチャマニアの名ツアーコンダクター”、メキシコ観光のチョンボ伊藤こと伊藤正一氏。そしてツアー参加者たちにも、できるだけ来てもらおうと思います。

私も、ツアー参加者諸君も、来場される方たちのためにメキシコ土産を買っていましたよ。そして報告会以外にオークションをしようと思います。ツアー参加者はもちろん、私自身もマスク等を出品したいと思います。

試合用のボビー・リー、エル・パンテーラ、引退試合バージョンのフエルサ・ゲレーラ、シエン・カラスなどを出品する予定です。また、マスク以外にもシャツやキャップなどルチャグッズをいろいろ揃えています。

もし、「私もこの品をオークションに掛けたい」というお客さんがいれば、当日、持ち込みでお申し出ください。鑑定人の私がさばく努力をいたします。ということで、是非ともご参加、お待ちしています。

実は私、今、次なる旅に出ていて横浜にはいません(『トマス観光』に休息なし…)。ヒントは流罪?で遠い島に来ています。17日頃には帰って来ます。

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