ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第747回】48年ぶりの流氷

 お陰様で極寒の北海道の旅から無事帰京しました(現地で7泊、船中2泊)。毎年恒例の胆振と日高5地区における種牡馬展示会を取材するのが主目的だったが、今回はどうしても達成したいオプショナルアドベンチャーツアーをプラスした。それがオホーツク海を埋め尽くす「流氷」を観に行く企画である。私がバイクで初めて北海道を一周したのが1975年。それからこの地に魅せられ、翌76年夏に別ルートでもう一周する。そして77年2月には列車を使って3度目の蝦夷地へ行った。ここで広大なオホーツク海を氷で埋め尽くし、真っ白な大平原になった流氷を観て大感動。あれから48年…「どうしてももう一度流氷が観たい」。それを実現すべくこのオプショナルツアーを企画したのである。本来なら昨年に行こうとしていたのだが、ブルー・デモン号の納車が3月だったので流氷は断念。そして今回は最強スタッドレスを購入し、満を持して全行程1100kmの極寒流氷ツアーの決行に及んだというわけである。2月1日に流氷が網走港に接岸したと観測ニュースを見ていたが、私が網走に行った日には離岸して沖へ去ってしまっていた。私は風向きと波の方向を計算して、もしかしたら知床に行けば流氷が観られるのではと猛吹雪の中、80キロ離れた知床半島のウトロへ車を走らせた。知床はまったく最初のプランにはなかった場所だが、読み通りに流氷はここに来ていた。48年ぶりの流氷…さすがに感動したよ。

知床で接岸している流氷を発見。(ドローン撮影)

 流氷は寒くて海水が凍るのではない。樺太(サハリン)の北西に河口のあるロシアの大河、アムール川が凍って出来た氷群が南下してオホーツク海へ流れて来たものである。つまり真水なのだ。48年前には凍った紋別の海岸線から沖まで歩いて行き、そこで削った氷でオンザロックを呑んだことがある。知床のオシンコシンの滝付近は曇天で強風だったけど、ドローンを沖まで飛ばして流氷と海の境目を観察。陸地からは分からない大自然のせめぎ合いを撮影することが出来た。

網走港の観光砕氷船「おーろら号」はデカい。

 そして翌日は快晴。網走港から出港する観光砕氷船「おーろら号」に乗って沖へ出る。前日は強風と流氷が去ったので欠航だったが、この日は沖に流氷群が確認できた上に凪だったので出航できた。以前は港や海岸線からしか流氷が見られなかったが、1987年に紋別港で「ガリンコ号」(現在は三代目)が就航、そしてこの網走では定員450名の大型船「おーろら号」が1991年に就航し、新しい観光手段となっていた。これは話のネタとして乗っておくべきだろうと予約を入れておいて大正解だった。日曜日で超満員だったけれども、私は早々にベストビューポイントを確保して最高の写真と動画を撮ることが出来た。大満足…でも、ちょっと残念だったのは知床連山が雲に隠れて見えなかったこと、そして積み重なって氷山のように盛り上がる氷塊があったり、アザラシがいたりしたら申し分ないのだが、何しろ自然が相手なので思うようにはならない。またの機会に来ればオホーツクはまったく別の顔の流氷を見せてくれることだろう。

流氷帯を切り裂く。「南極物語」のテーマが掛かる。
量は少ないが48年ぶりの流氷のご満悦。

 流氷は早ければ1月末に来て3月頭までオホーツク沿岸や羅臼などで観られる。見ごろは2月の半ばあたりと言われるが毎年様子が違うようだ。この時期、プロレスはオホーツク沿岸に巡業でやって来ることはまずない。2月初頭と言えば札幌の雪まつり。この人出に当て込んで新日本が札幌中島体育センターで興行を打つようになったのは有名だが、実は先にやったのは日本プロレスで、1967年、69年に札幌中島で2連戦をしている。70年には2月2日の札幌の後、4日に旭川へ行っているが、そこからオホーツクはまだ遥かに遠い(約140キロ)。新日本も74年2月4日に旭川まで来ているが、そこまで…。真冬のオホーツク沿岸へは足を踏み入れていない。以後、函館と札幌の安全策を踏み続ける。北海道巡業大好きの国際プロレスも無理はしない。3月の札幌はやっても、厳寒の蝦夷地を徘徊することはしなかった。しかし、全日本の動きはちょっと違う。旗揚げ翌年の1973年2月15日札幌、16日の帯広、18日の室蘭と流氷シーズンに道東に少し足を踏み入れている。でも帯広から網走まで190キロもある。新日本が雪まつり興行をやらなかった1977年、全日本は1月の厳冬期に北海道へやって来て、1月10日の苫小牧を皮切りにして釧路、札幌、夕張、富良野、北見を広域にサーキットしている。1月15日の北見市トレーニングセンター(現存していない)などは網走まで40キロちょいの近距離だ。だが1月15日は流氷シーズンまで半月早かった。翌78年も全日本は1月に北海道をワイドに回っている。札幌、釧路、帯広、三笠、函館、岩内…こちらも流氷シーズンではないし、釧路からオホーツク海に面した斜里町まで130キロもある。

84年のゴングのグラビア。私が貸したオーバーを着てはしゃぐリスマルク。

 最初に厳冬のオホーツクを見たのは全日本であった。1984年『新春ジャイアントシリーズ』第10戦の紋別市スポーツセンター。この時は室蘭から北海道に入り、翌日が北見、そしてオホーツクに面する紋別に入って来たのだ。メインはジャイアント馬場&天龍源一郎&ザ・グレート・カブキvs上田馬之助&鶴見五郎&ケリー・キニスキー。セミがテリー・ゴディ&マイケル・ヘイズvsジャンボ鶴田&阿修羅・原。そしてリスマルクvsマッハ隼人もあった。写真上のゴングのグラビアは私が岡本哲志カメラマンに厳寒のオホーツクを望む紋別の展望台へリスマルクを連れ出して特写してほしいと頼んだもの。しかし、このグラビアのロケ地は紋別でも、オホーツクでもない。室蘭の地球岬(太平洋岸)である。私は“アカプルコの青い翼”に流氷を見せたかった。だが、よく考えればこの紋別大会は1月12日だったから流氷が来るには半月早い。だから室蘭で取材を済ませた岡本さんの判断は正しかった。13日は中標津だったから、一行は紋別から網走、斜里を通って中標津に向かっている。流氷はなくとも、この延々と146キロに及ぶ海岸線ルートでたっぷりオホーツクを満喫できたであろう。リスマルクは“オホーツクの青い翼”になっていた…。

リスマルクが見たであろうオホーツクの青い海。

 一週間後に東京で再会したリスマルクはこう言った。「その海は観たよ。実際には凍ってなかったけど、(観光)ポスターで氷で真っ白になった海の写真を見たよ。これでアカプルコに帰って妻や友達たちに自慢話が出来る。“海が凍る”なんて誰も信じないだろうけどね」と笑っていた。「それよりも生まれて初めて雪に触って遊んだよ。毎日毎日が真っ白な世界…たぶん一生分の雪を見たと思うよ。それにしても東京は暖かいね」と再びニコリ…。ということで、トマス観光の流氷オプショナルツアー2026は成功。「世界最古のプロレス会場アレナ・コリセオを見ずして死ぬべからず」のドクトルの格言を第二弾…「流氷は一生に一度は見るべし」。来年はウォッカを持って紋別、あるいは羅臼の流氷を観に行きたいと思う。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅