アカプルコへ行きたいが…
先週は石巻市の『サンファン館』を見学して、1613年に月の浦湾からサン・ファン・バウティスタ号に乗って支倉常長一行が太平洋を渡ってアカプルコへ着いた話を書いた。ここがアカプルコと繋がっていることに胸が熱くなり、私自身とても思い出が深いアカプルコのことを書こうと思う。

アカプルコはメキシコシティから南西に約380キロ…太平洋岸に面したリゾートシティで、1530年代にスペイン人がマニラと交易するために開発した港湾都市である。戦後、アメリカ資本で港の南に広がるビーチ添いに高級ホテルを建てて開発を始め、周辺の山に白亜の別荘地が造られた。そこは1950年代からアメリカのセレブたちの憧れ楽園であった。「ハワイまで行かなくても、こんな美しいビーチリゾートがアメリカの近くにある」という感覚だったのであろう。故に1960年夏にメキシコで初のNWA総会がここで行われたのもメンバーの夫人たちの希望が強かったからだという。あのルー・テーズもアカプルコはお気に入りだった。そしてエルヴィス・プレスリーの映画『アカプルコの海』(1963)は、この街の人気に拍車をかける。

リゾートなのはビーチエリアのみ。アカプルコの人口は65万人…メキシコでは12番目の都市である。アレナ・コリセオ・デ・アカプルコは1956年12月12日に開場し、数少ない庶民の娯楽としてルチャは親しまれた。開場記念大会のメインはエル・サント&エンペクトロvsブルー・デモン&ウラカン・ラミレスであった。翌57年7月にはカルロフ・ラガルデvsハリスコ・ゴンサレスのナショナル・ウェルター級選手権が行われている。メキシコは何処で生まれたのかを大切にする国である。ルチャの世界も同様である。ところがアカプルコはエストレージェ不毛の地であった。ファンタスマ・デ・ラ・ケブーダ、ラファエル・サラマンカ、ベラウリオ・メンドーサなど選手よりもコーチとして名を成した者が目立つ。最初のアカプルコ出身のヒーローはチャノックであろう。チャノック(アベラルド・ロンディン・ベニテス)はフアン・ディアスを倒して63年10月17日、地元アカプルコでナショナル・ライト級王者になっている。アカプルコ出身で最初のメジャータイトル獲得者だ。

翌年2月4日、チャノックこそアレナ・メヒコへ初登場して初めてタイトルマッチをやったアカプルケーニョであったがウリセスに敗れてベルトを失う。同年11月1日にアカプルコでウリセスから王座を奪回。しかし、65年1月にアレナ・コリセオでロドルフォ・ルイス(アベルノの父)に敗れて王座から転落した。アカプルコで勝ててもメキシコシティへ行けばベルトを失う。チャノックはリスマルク以前のリスマルクと言えるが、リスマルクの域まで昇れなかったマスクマンだった。その後、ルードのマリオ・バレンスエラが77年にフラマ・アスールを破ってナショナル・ライト級王者になるけど、中央で脚光を浴びたエストレージャだとは言えない。故に次に出現するリスマルクはアカプルコのファンたちにとって希望の星でしかなかった。彼こそ熱烈なファンの期待を背負ってアレナ・メヒコへ乗り込んで大成功した唯一無二のアカプルケーニョであった。私はその歩み、その軌跡を一緒になって追えたことを誇りに思う。リスマルクはナショナル王座とNWA世界王座の両タイトルの3階級制覇(ウェルター級、ミドル級、ライトヘビー級)をした唯一の男。それだけでも他のアカプルケーニョより傑出しているということがわかる。GスピリッツVol.40とVol.41でリスマルクのライフストーリーを掲載している。改めて読み返してみたが、やたらと詳しい…我れながら力作だったなと褒めたい。この際だから是非、読み返してみてほしい。

ビッグネームになったアカプルコの青い翼。
1979年1月に私は初めてメキシコへ取材に行った際、エル・トレオで「明後日、アカプルコへ行かないか」とエル・ソリタリオに誘われた。それがアカプルコへ行く最初の入口だった。ソリとは現地で会う約束をする。私は自分で航空券を買い、アカプルコへ飛ぶ。約1時間のフライトで、喧騒のメキシコシティから脱出して南国のパラダイスへ到着する。とにかく蒸し暑い(昼間30度~夜でも21度)。空港からタクシーで25km離れた市内へ…空と海が青くて広いて眩しく、山に張り付く白亜の別荘群が美しい。ところが私の入った安宿は最悪だった。壁にヤモリが張り付いていて天井が低い。ソリタリオの泊まっているホテルへ行ってみる。プライヤ・スワベという名のこちらも安ホテルだが、私のボロホテルよりは全然ましで、プールもある。ここは浜田らUWA選手たちの常宿らしい。その頃、火曜日はUWAがパルケ・デ・ベイスボル・ウニダド・デ・ポルティバという野球場で興行を打っていて、それは庶民たちが住む街の奥の丘の上にあった。

第1試合にネグロ・ナバーロが出ていて、第2試合のタッグではアルコン78とスギ・シトと戦っていた。体育館のように広くて暗い控室で初めてボビー・リーと会って話をした。その日のメインはソラールとのUWA世界ウェルター級選手権であった。その試合で私が撮ったプランチャ(ダンビングボディプレス)の写真は今もボビー・リー宅に飾られており、イホ・デル・サントが訪れた時に「これはいい写真だねえ」と褒めてくれた。セミはソリタリオ&アニバルvsドクトル・ワグナー&セサール・バレンチーノ。ワグナーが地元の応援団たちと垂れ幕を持ってグラウンドを行進して来ると、ソリとアニバルはジープのオープンカーに乗って球場へ入って来る演出。その夜はソリとセサールに誘われてバーで飲み、そこでフランス女性をナンパしてディスコに繰り出す。そうして深夜までとことん付き合い、クレイジーなアカプルコ不夜城の快楽にヘトヘトとなる。「あんなにリングで動き回り、暴れたのに、その後で何でこんなに寝ずに遊ぶスタミナがあるんだ」と正直言って呆れた。「来週も、再来週もアカプルコで俺たちの抗争が入っている。最後にはマスカラ・コントラ・カヘジェラがあるからな。だから、来週も再来週も来いよ」と言われる。アカプルコは確かに楽しいが、彼らと付き合うには体調を整えなければと思った。

それで朝は朝で、セサールがホテル・ラス・ブリーサスの有名なピンク色のジープを借りて来て市内を走り回る。そして別の高級ホテルへ行ってテニスをしたり、ビーチで日光浴をする。夕方にソリとセサールをアカプルコ空港で見送る。彼らはそこから今夜の試合地、東海岸のベラクルスに行ってしまった。私は3週連続で彼らとアカプルコを満喫した。その時のセサールもそうだが、他の選手に何度か同じようなことを言われたことがある。「他の日本人記者は俺たちが飲んだり、遊びに誘うと断るか、途中で帰ってしまう。トマスは最後の最後まで付き合う…だからキミはメキシコ人たち好かれるんだよ」と。(おい、そんなことで好かれるのか…もっと違う所を見てくれよ)。

アカプルコに残った私は、その日の夜のアレナ・コリセオ・デ・アカプルコ大会へ行く。EMLLは毎週水曜日が定期戦だ。リゾートエリアから奥に入った汚いダウンタウンにある4000人クラスの古いアレナ…プロモーターのペペ・バルデスは親日家だった。メインはトニー・サラサルvsリンゴ・メンドーサのNWA世界ライトヘビー級選手権。セミがミル・マスカラス&エル・ファラオンvsカルロス・プラタ&アルフォンソ・ダンテス。その下でアメリコ・ロッカのナショナル・ウェルター級王座にリスマルクがチャレンジする選手権が組まれていた。その日は、なかなかの好カードだった。ここで見た地元のリスマルク応援団の熱烈な応援は一生忘れなれない。

発音はこう。「リースマル、リースマル!」で「ク」はほとんど聞こえない。その大声援がクソ暑い会場の天井に響き、そして客の全員が白と青のチープな旗を振る。こうした地元愛に溢れた応援を他の会場で一度も見かけたことがない。この地元のヒーローはまだナショナル王座にまであと一歩届かないところにいたが、彼らはリスマルクの才能を愛でていることがよくわかった。敗れはしたが、「この男は必ず大成する」という予感があった。メインの前に彼はバッグを片手に会場の通路を通って帰ろうとしていた。“いい試合だったよ”…私が呼び止めてコーラをご馳走すると、彼はニッコリとして握手を求めて来た。それが私とリスマルクとの最初の接点だった。

81年も82年もメヒコへ取材する時は必ずアカプルコへ行った。それはリスマルクの成長過程を観るのと重なった。84年に私が新婚旅行でアカプルコへ行った頃には押しも押されぬ大スターになっていた。その日に新人のアトランティスと会ったのもこのアレナであった。

震源地に近かった85年9月の大地震を経て、80代後半から観光地としてのアカプルコは次第に衰退していく。ユカタン半島のカンクンがリゾートとして大注目されるようになっていた。アカプルコの海は急に深くなっていて、泳ぐのに向いていない。泳ぐ人はホテルのプールのみ。そこをいくとカンクンのビーチは遠浅で、白いリーフに透明度の高い海が実に美しい。アメリカ資本の高級ホテルはこちらに集中し、アメリカのセレブたちはアカプルコからカンクンに乗り換えた。80年代、日本でも沖縄旅行が増えて熱海が衰退したのと似ている?かも…。それに伴い、アレナ・コリセオ・デ・アカプルコのルチャも90年代以降、次第に衰退していく。2000年以降、麻薬カルテルによるギャングの抗争で治安が悪化し、恐ろしい殺人多発タウンになってしまったという。それと水害…。現在では多くのホテルは倒産し、店は閉店し、観光客はほとんど姿を消してしまったらしい。以前のコラムで市内に支倉常長像と日本広場があるという話を書いた。リスマルクの記念レリーフも出来たらしい。だからまた行きたいと計画したが、「今、アカプルコへ行くのは危ない。殺人多発の地帯だから」と、いろんな人に止められた。一時、閉鎖が噂されていたコリセオだが、ポツポツと興行をやって来た。今年は2月と3月にCMLLが興行を打っており、先週の11月27日にはミスティコやアトランティスが試合をしている。私が最後に行ったのは1991年で、試合ではなくラ・ケブラーダ(断崖からのダイビングショー)を初めて観た。あれから34年ご無沙汰しているが、思い出がいっぱい詰まったアカプルコへは死ぬまでにもう一度行ってみたい(行ったら本当に死ぬかも…)。誰か私と一緒に突撃ツアーに参加しますか?