ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第669回】新大統領と被る女子プロ

 メキシコでは先日の大統領選で、与党左派政党のクラウディア・シェンバウム氏がメキシコ初の女性大統領に当選した。この人は2018~2023年までメキシコシティの市長(これも女性初)に就任しており、再生可能エネルギーの博士号を持ち、気候変動の研究においてノーベル平和賞を受賞している。また氏は女性に対する差別や偏見・迫害に真っ向から立ち向かい、女性保護政策を推し進めている政治家だ。彼女は勝利宣言の際に「私は私一人でここに辿り着けたのではありません。私たち(女性)は、みんなでここに来たのです」と述べ、メキシコ国民の心を打った。この大統領選を争った相手も野党連合のソチ・ガルベスという女性の元上院議員で、シェンバウム氏の後任となる現メキシコシティ市長クララ・ブルガダ氏も女性である。このように今、メキシコは強く賢い女性によって新しい時代が切り開かれようとしている。この就任によって、もっと治安が良くなってくれればいいが…。

女子プロ登場を一面で報じる1935年7月12日の『ラ・アヒィシオン』紙。

 かつてメキシコマット界には女性レスラー(ルチャドーラ)が差別を受けていた暗黒の時代があったことをご存知だろうか…。メキシコ女子には栄枯盛衰があった…。メキシコでは1935年7月10日、旧アレナ・メヒコにEMLL初代当主サルバドール・ルテロ・ゴンサレス氏がシカゴからポーリン・ホワイトという女子選手を招聘したのが最初の女子プロで、対戦相手はエルパソですでにレスラーをしていたメキシコ人のナタリア・バスケスだったという。このナタリアが一応、最初のメキシコ人ルチャドーラとされている。その後もメイ・ステイン、テディ・マイヤース、キャサリン・ハート、ドット・アポロなどのアメリカ選手が来墨。そして1942年12月には世界女子王者のミルドレッド・バーグの招聘に成功した。女子プロレスの草分け的な存在であるバーグは世界のみならず日本の女子プロレス(全女)発展に大きく貢献した恩人ともいえる。バーグは42年12月20日のアレナ・メヒコでセミに登場してスサーナ・ポールを破っている。これを機にメイ・ヤング、ネリー・スチュワート、ジューン・バイヤース、ローズ・エバンスという上質の女子レスラーたちがアメリカからやって来る。

ミルドレッド・バーグとボクシング世界王者マックス・ベア。

ただ、国産のルチャドーラはそのレベルに追いつかず、ヒロインはなかなか誕生しない。本格的にルチャドーラの登場は50年代になってから。ダマ・エンマスカラーダという覆面女子が最初の有名なメヒカーナで、続いてチャベラ・ロメロ、イルマ・ゴンサレス、ハロチータ・リベロなど優秀な女子選手が次々に出現する。彼女らは50年代初頭にEMLLのオポジション「テレビセントロ」に所属していた。イルマ・ゴンサレス(イルマ・モラレス・ムニョス)はクエルナバカ出身でラウル・ロメロやゴリー・ゲレロに師事し、ノビア・デ・エル・サント(聖者の恋人)という触れ込みで売り出された。テレビセントロとはテレビ局お抱えの新団体でテレビそのものが普及していなかったとはいえ、コンテンツの少ない中でプロレス中継は人気を呼ぶ。日本でいう街頭テレビのように電気売り場の前には人だかりなったという。ただし、女子の試合はエロとか女子の暴力と見なされ、放送禁止となるばかりか、メキシコ政府お抱えのルチャとボクシングのコミッショナーからクレームが出て55年からメキシコシティでの女子の試合は禁止になった。テレビセントロ崩壊後、イルマやチャベラらを引き取ったEMLLもアレナ・メヒコやコリセオでは使えず、グアダラハラやモンテレイ、アカプルコなど地方都市でしか仕事を与えられなかった。それは女子選手たちにとって厳しい時代であった。例えば78年6月、サトル・サヤマと同時期にメキシコ入りしたルーシー加山とトミー青山はグアダラハラの西部サーキットのみしか試合できず、サヤマのように首都のアレナ・メヒコに上がることは叶わなかった。イルマもチャベラも50年代半ばから70年代後半まで地方のみを転々としていたのだ。

女傑イルマ・ゴンサレス。

EMLLにとって女子という重要コンテンツをアレナ・メヒコやアレナ・コリセオで使えないのは痛かった。逆にそこを衝いたのが新団体UWA(フランシスコ・フローレス代表)であった。フローレスはメキシコシティ(連邦区)から少し外れたエル・トレオ(メキシコ州ナウカルパン地区)を77年から週間定期戦のメイン会場とし、古豪のイルマ・ゴンサレスを初期の女子部門のエースとし、古参のチャベラをライバルに据える。アメリカからビッキー・ウイリアムを招聘してイルマがメキシコ初の世界王者になる。さらに新手のエステラ・モリーナ、ローラ・ゴンサレス、パンテラ・スレーニャ、ビッキー・カランサ、ロッシー・ロメロらを集結させて女子王国を築いたのである。特にローラの台頭はメキシコ女子のレベルを上げたといえよう。だが、ここで老舗のEMLLが逆転の一手を打つ。コミッショナーに働きかけて87年からメキシコシティでの女子の試合を解禁させたのである。女子プロの首都圏登場は32年ぶり。これによりイルマ・ゴンサレス&イルマ・アギラール親娘、レイナ・ガジェゴス、ラ・ブリオーサなどはEMLLへ移籍していく。さらに90年にはテレビの全国放送が再開され、92年にAAAが旗揚げして2つに割れるが、女子は双方の団体で重要なコンテンツとなって現代に至っている。AAAのアントニオ・ペーニャ代表は男女ミックスの世界王座を新設し、男&女&オカマ&ミセットという8人タッグを新設して男女平等のプロレス世界を表現した。

若き日のローラ・ゴンサレス。

アメリカではニューヨークのMSGにおいて女子の覆面レスラーの登場を同市のアスレチックコミッショナーが禁止していた。メキシコシティの女子禁止のそれに似ている差別と偏見だ。72年、MSGでは女子はファビュラス・ムーラによって、覆面はミル・マスカラスによって解禁される。それと同様に87年の女子首都圏解禁は革命であった。シェンバウム女史のメキシコシティ市長選の当選とそれは被って思えた。それでは今回の同氏による初の女性大統領誕生は何に当たるのだろうか…。メキシコは日本と違って女子プロ専門団体がない。大多数の男子ルチャドールの中にあってルチャドーラたちが長年置かれて来た待遇と環境は厳しいものがあった。今回の新大統領誕生は、そういう女子への差別や偏見が取り払われる第一歩になればいいと考えたい。私にはクラウディア・シェンバウム大統領と女帝イルマ・ゴンサレスがダブって映る。イルマは長く厳しい時代を生き抜いたメキシコ女子の象徴であった。

エル・トレオでのイルマvsローラの新旧決戦。

私が初めてメキシコで女子の試合を取材したのは79年2月4日、エル・トレオのセミ。イルマはチェラ・サラサールと組んでチャベラ・ロメロ&エステラ・モリーナとのタッグマッチで強さを発揮していた。これは2月25日の同所でのイルマvsチャベラのカベジェラ戦(トレオのメインでイルマの勝利)へ向けて4週にわたって続く前哨戦の第1弾であり、そこにはすでに興行的な扱いに男女の差はなかった。フローレスはこの時代の男女平等のマッチメイクをしていたのを思い出したのだ。そのイルマvsチャベラ戦はメキシコにおける初のビッグマッチの女子メインで、私はその現場に居合わせる幸福を感じた。だから余計、ルチャドーラたちの先達であるイルマがシェンバウム大統領と被って思えるのかもしれない。新大統領誕生によって生まれ変わらんとするメキシコに今年も行ってみたい…独立記念日に大統領の演説を聞けたら嬉しいし、今夏88歳になるイルマと再会できたらいいなあと思った。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅