先週は晴信が婚約したと勝手に書いてしまったら、「まだ入籍していないし」とちょっと息子に怒られた。でも、物書きの父親としては黙っていられなかったんだよ。このコラムは私が私自身のことを好き勝手書く場なのでね。長年“プロレス者”を続けて来たので、「何ならば書いていい。それは書いては駄目だ」くらい重々承知しているつもりだ。隠すことのない慶事だしね。そして、あれを読んでくれた方たちから大勢「おめでとうございます」というメールを頂いた。この場を借りてみなさんに改めて「ありがとうございます」「MUCHAS GRACIAS」とお返事したい。これって、このコラムを長年続けてきて、それを飽きずに読んで下さっていたことと、Facebook等を通じて私と多くの人たちが繋がっていたから頂けた祝事だ。そこを息子にはわかってほしい。いや、そこはわかってくれていると思う。晴信は6月に結婚式を挙げることも決めてきた。まだ、私は彼女に会ってもないのに……何もかもが電撃である(彼女が我が家に来るのは今週末)。ということで、申し訳ないが今日も清水家の内輪事を吐露させてもらう。

今日13日、私は新横浜の老人ホームに100歳になる母“み祢子”(あと4ヵ月で101……)に会いに行った。今日は車椅子で歩けない母の代わりに私が現在の経過、データを持って病院へ行く日だった。そして母には孫が結婚することを報告した。すると普段ボケて話が通じなかったり、家族の誰が誰かわからなくなってきている母が、その報告に強く反応した。「えっ、晴くんが結婚するの!?彼女はどんな人?」とはっきり言ったのだ。今日の母はやたら頭がクリアーだった。24日には初めて外出届けが通り、コロナを挟んで丸5年ぶりに自宅へ一時帰宅することになった。そして自宅で息子と兄夫婦と一緒に遅いお正月会をすることにしたのだ(私が車で送迎することに)。それを伝えると「えっ、本当に。綱島へ帰れるの。白味噌のお雑煮食べれるの」と、凄い反応する。さらに翌25日には兄の娘夫婦がひ孫たちを連れて老人ホームを訪問することになっている。3人増えて4人になったひ孫たちとの初対面である。「4人なのね。すごいね」と反応。そして私が「晴くんの結婚式に行きたいか」と訊ねると、「行きたいねえ」と言い出したのだ。式は両家の内輪だけでのものを考えているらしい。平日なので既に出席者たちには声を掛けている。息子の頭には祖母の名前は入ってない……最初から無理だと思っているようだ。それは新横浜から都心の式場への大移動になる。新郎の父が連れて来るのは、さすがにどんなものか……。するとケアマネージャーさんが「介護タクシーという手がありますよ」と提案してくれたのだ。なるほど、これも息子とまだ話してないが、タクシー会社と要相談だが、このプロジェクトM(マスカラスではない、み祢子のM)は、なんとか実現させたい。5月には101歳になる老婆に孫の晴れ姿をどうしても見せたいと強く思うのである。

そこにこだわるのには訳がある。1984年2月18日、メキシコで私は結婚式を挙げた。そこには誰一人親族は来なかった。私が親族を無視して勝手に進めた異国での式だから仕方ない……。帰国したら都内で披露宴があるから、みんなそこへ出ればいいと思ったのも確かだ。でも、2・26……その日は朝から大雪であった。出席予定だった厚木在住の櫻井康雄さんは欠席に……。そして何よりも川崎市の宮前平の叔母の所に居た私の大好きな祖母・春子も危ないからと欠席してしまったのが痛かった。会場でそれを知り「何で担いででも連れて来なかったんだ!」と私は叔母を責めた。私と妻の一世一代のビッグショーを祖母に見せられなかった後悔はずっと残った。そのことがあったから、私は息子の結婚式を何としてでも母に見せてやりたいのである。母は“晴くんは結婚するような彼女いないの?”と、ずっと言い続けていたからなおさらだ。まあ一番、晴れ姿を見せたかったのは息子を生み、イホ・デ・ソリタリオみたいにひん曲がらずに育ててくれた妻・美津子なんだけどね……。今日はプロレスのことを何も書けずにすみませんね。祝い事とはいえ、今が清水家にとって一大事なのでお許しを……。