みなさん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年は愛すべき馬の……午年。60代最後の年を、楽しく元気に駆け抜けたいと思っています。

さて、昨年の年末は息子と一緒に会津若松へ小旅行に行ってきました。ブルーデモン号に最新最強のスタッドレス(ブリザックXZ-1)を履かせたので、その性能を確かめるべく近場の雪国へ行こうと思い、会津をチョイスした次第。会津と米沢は1994年の夏休みに家族旅行で訪れた思い出の地で、息子・晴信とは2度目となる。

会津といえば、故・米村天心選手のちゃんこ屋『やぐら太鼓』。2013年夏にここを訪れ、米村さんにロングインタビューをしたことを、つい昨日のことのように思い出す(GスピリッツVol.29&30掲載)。その翌年には有志とともに再訪し、名物のカレーちゃんこをご馳走になった。
2016年に米村さんはお亡くなりになり、お店は奥様と娘の加奈子さんが継承。私が個人的に2020年4月に『やぐら太鼓』を訪れた時は、3年前に角界を引退した太さん(八角部屋。四股名=朱雀。最高位は幕下七枚目)も、地元でお勤めをしながら夜はお店を手伝っていた。カレーちゃんこの味もグレードアップしていた。母・娘・息子が仲良く切り盛りするお店は活気があり、愛に溢れている。
私は改めて、知られざる生前の米村勉情報をファミリーからたくさん伺うことができた。とても有意義な夕餉でした。毎年6月10日過ぎからは、お店の横を流れる小川にホタルがいっぱい飛ぶとのこと。「今度はホタルの時期にカレーちゃんこを食べに来ますよ」と言って、お店を後にした。

翌日は磐梯山を一周するコースで、雪の裏磐梯を走る。これは2月に流氷を観に行くため、網走まで走るトライアル……雪中行軍だった。新スタッドレスはしっかり雪を噛んでいた。大雪の裏磐梯を脱出して、米村家御用達の秘湯(中ノ沢温泉)と田舎蕎麦を堪能し、再び会津若松に宿泊。その日は上杉景勝の神指城に近い「大江戸温泉の会津」に泊まり、夕食バイキングを楽しむことに……。

だが、ここで息子がまさかの激白。
「俺に彼女ができて、26日にプロポーズして婚約したんだ。彼女と付き合いだしたのは11月末から」――。
青天の霹靂とはこのこと。せっかくのバイキングも、ちゃんと喉を通らない。11月30日のジャパンカップは一緒に府中で観戦し、私の誕生日だからと新宿の天ぷら屋で69歳のお祝い。ドラマの『ロイヤルファミリー』ではいつも天ぷら屋で食事をしていた。「お父さん、何が食べたい?」と聞かれ、「競馬観戦後は天ぷらだろ」と答えると、彼が予約してくれていたのだ。
その時に言えばいいのに、晴信は黙っていたことになる。12月26日にプロポーズだって? 巣鴨で一緒に忘年会をした前日じゃないか!!
おいおい、何も聞いてないよ。

息子・晴信が生まれたのは1987年4月18日。ハンセンが文体で輪島を破ってPWF王座に就き、長州軍がジャパンプロから新日本へ殴り込みをかけようとアクションしていた時期である。私は週刊ゴングの副編集長で、2年後の正月に編集長になる。そんな最も多忙な時期だったので、深夜や早朝に帰宅すると息子はいつも寝ていた。たまに布団をめくると、知らないうちに大きくなっていた(びっくり……)。
妻は息子を厳しく育て、私は息子を甘やかした。息子とのわずかな休みは遊びまくったから、私のことを父親というより遊び相手と思って育ったのだ。その後、妻は2年連続で流産したため、弟や妹をつくることができなかった(1度は双子だった……)。だから私は一人息子に愛情を注ぎ、兄弟のような遊び相手に徹した。プロレス会場にもよく連れて行った。記憶にないだろうが、首都圏での鶴龍対決はコンプリートしているはずだ。
子ども好きな竹内さんにとても可愛がられた。ユニバーサルにもよく連れて行った。だからエストレージャたちにも顔なじみだ。素顔のミル・マスカラスと初対面したのは、93年12月にメキシコへ旅行した時のこと。「やんちゃそうな顔つきをしているなあ」とマスカラス。二人が手をつないでスイーツを食べに、メキシコシティの町中を歩いている絵は、目に焼き付いて離れない。
春休み、夏休みには一緒に山城に登ったし、オグリキャップのぬいぐるみを与えて馬も少しずつ教えた。馬は共通の趣味となる。人からは「いい年した親子がいつまでも……」と見られていたかもしれない。でも、その絆は4年前に妻・美津子が急死してから、さらに強くなった。ファミリーがたった二人になってしまったからである。
お互いの誕生日には食事を奢るルールを作った。晴信は、大好きだった母の菩提を弔うために四国八十八か所巡礼の旅を始めた。私はそれをサポートした。結願後には高野山へお礼参りに行き、熊野や伊勢も一緒に旅した。そして昨年秋にはメキシコのツアーへ同行させた。彼にとっては32年ぶりのメヒコ……これは最高の思い出になった。
そして暮れの会津路……。車中、私は「俺、一度も行ったことないけど今度、上高地に行かないか。いや、黒部・立山アルペンルートでもいいよ」と訊ねるが、なぜかいい返事が戻って来ない。私はいつまでもコイツと旅ができると思い込んでいたが、まさかのどんでん返しが待っていたのだ。この会津が、親子二人で行く最後の旅になった……。

で、お相手は会社の後輩だという。いいじゃないか……社内恋愛。上司も社員も、いまだに知らないらしい。それって、ドキドキするよなあ。年明けの3日、息子は先方の実家へ挨拶に行き、4日には清水家の菩提寺・池上本門寺にお参りへ。私は前日、本門寺へ行ってお花をたくさん飾っておいた。
ノビア(フィアンセ)が我が家に来るのは来週……身内では私が一番最後である。100歳になる私の母にも会ってもらわなければならないだろう。新しい父親として彼女にどんな顔を見せればいいのか。まさかマスクを被るわけにはいかないし。こんな風変わりな父親だって、息子はどう伝えているのだろうか。
先細りで消滅寸前と思われた清水家は、これで繁栄の道筋が見えて来た。晴信との二人旅は終わったが、お家大事……これは久しぶりのハッピーニュースと捉えたい。今度は3人で『やぐら太鼓』に、メヒコへ、一緒に行く日が来るだろうか……。