私は今、メキシコにいますが、今週のコラムは9月20日、長野県岡谷市にある大先輩の吉澤幸一さん(ゴング誌の海外プロレスライター)のお墓参りへ行った際に突然閃いた企画を書き残しておこう。吉澤さんが愛した諏訪湖を巡るプロレス現地調査をしたのである。以前には「諏訪湖スポーツセンター」(現・諏訪市清水町体育館)について何度かレポートしたと思うが、今回は屋根付きの体育館のできる以前、50年代~60年代の諏訪のプロレス会場を巡ってみた。この地で有名な「諏訪湖スポーツセンター」は1971年に完成したこの地方初の屋内施設で上諏訪にある。プロレスこけら落としは同年9月9日、『サマー・ミステリー・シリーズ』第15戦。ここからのテレビ中継で猪木&大木&星野vsマスカラス&ジ・インフェルノスが中継されたのはご存知の通り(NET録画中継)。NETだからセミの馬場vsグリズリー・スミスの巨人対決はカットされた。体育館の管理室にいる年配の方たちに話を聞くと「ここは、元は国の所有物で、後に県、その後に市の所有になったんです。昔は諏訪ハイツと言っていたのかな。平成5年に大改装して、そこから清水町体育館になったんです」と。それ以前、ここは競馬場だったと、このコラム649回でレポートしたのを憶えていますか…。この体育館のあるあたりが馬場の2コーナー付近にあたる。吉澤さんも子供の頃、祖母と父に連れられて開催日の競馬場に来たことがあると言っていた。上諏訪競馬は1934~1944年は長野県畜産組合連合会が主催。戦後は1947年から再開し、長野県馬匹組合連合会が主催で1960年まで続いて閉場になる。それから65年経った今も付近には「競馬場踏切」「競馬場橋」の名が残っていることは以前にも書いている。

プロレスが初めて諏訪にやって来たのは1958年9月29日、『秋の国際試合』で公式記録では「諏訪市営球場」とある。メインは力道山&ジョニー・バレンドvsドン・レオ・ジョナサン&スカイ・ハイ・リー(来日外国人はこの3人のみで、ほぼ毎日このカード)。翌日のスポーツニッポン紙によると、初の諏訪でのプロレス大会だったため、なんと1万人が入ったと書かれている。この記事を書いたのは後に猪木vsアリ戦の解説をした後藤秀夫記者だ。彼は早大のボクシングスターで映画『大学の虎』のモデルとなった人物。プロ転向後に日本フェザー級王座に2度就き、世界フライ級王者ダド・マリノと引き分けた実力者であった。引退後はスポニチの記者として活躍してボクシング中継の解説もしていた。アリ戦の時、プロレスファンからすると「何だ、このおっさん」と違和感を持った人も多かっただろうが、ボクシングファンの視線からは当然の起用だったといえる。ボクシング担当の新聞記者たちはプロレスへ回されることが多かったようで、後藤さんもこの時、日本プロレスの巡業に同行していたのであろう。ちなみに諏訪大会の前日は高崎で、2日後にあった甲府大会は記事がないので帰京したと思われる。

さて、この「諏訪市営球場」とは一体どこにあったのだろうか。今回の調査で所在地を発見した。なんと、球場は上諏訪競馬場の内馬場にあったのだ。1948年撮影の航空写真に競馬のオーバルコースの中、それも西寄りの位置にはっきり野球場がすっぽり入っているのが確認できる。内ラチでも外せば1万人入るスペースは十分にあろう。競馬場同様、国の補助で造られたので、「国立球場」とも呼ばれていたようである(現在も旧・国立球場として市のホームページにその名前が残る)。内野にあったスタンドこそ壊されてしまったが、野球場として現存する清水町球場は、以前の市営球場とほぼ同じ位置だが、空撮写真と照らし合わせるとホームベースのポイントなどが微妙に違う気がする。現在の清水町球場は競馬場の1~2コーナーの中間地点付近に重なる。吉澤さんからここでプロレスをやったという話を聞いたことがない。1949年5月生まれの吉澤さんは、この時9歳。諏訪湖西岸の岡谷市に住んでいたので知らなくても仕方ないかも…。“諏訪の先生”が知らない諏訪のプロレス史を発見してしまったよ(教えてあげたーい!)。

でも、これは吉澤さんから聞いていた。「下諏訪の野球場でプロレスを観ましたよ。それが初めて観る生のプロレス。初めての生の力道山です」と。それは翌1959年6月17日の「下諏訪町営球場」(現・下諏訪スタジアム)のことである。下諏訪町は西に岡谷市と接する湖畔北側の町で、諏訪大社下社が鎮座することで有名。ここからならば岡谷市から近いので10歳の幸一少年でも観戦は可能だったのであろう。ちなみにこの球場は両翼91.4メートル、センターまで119.6メートルある本格派球場で、1949年8月に開場し、プロ野球公式戦は1950年5月10日の東急フライヤーズ(日本ハムファイターズの前身)vs毎日大映オリオンズ(千葉ロッテマリーンズの前身)が初試合。56年までの6年間でセ・パ計9試合の公式戦が行われている。

力道山が諏訪エリアに再来したこの大会。2日前に『第1回ワールドリーグ戦』(15都市19戦)の決勝戦が東京体育館であって、力道山がヘスス・オルテガを破って優勝している。その直後の気の抜けた追撃戦だったためか、東京からマスコミが来ていなかったようで、当日のカードが不明。諏訪市に本社のある『南信日日新聞』(現・長野日報)によると、2000人と不入りだったようだ。51都市60試合の追撃戦を含めたワールドリーグの客入りを力道山が『プロレス&ボクシング』誌で回顧し、「宇和島と諏訪だけが5千人を切ったが、他は大盛況だった」と満足そうに語っている。だが諏訪の不入りを認めていた。決勝戦後の宣伝不足か、1年でまた諏訪エリアに来たためか…不入りの理由は不明だ。地元の『南信日日新聞』の記事によれば「公式リーグ戦とは異なり、エキサイトした試合はほとんど見られず、時間も足らずとあってファンもがっかり、憤慨して帰る客もあったが、顔見せ興行であることを心得た客は満足したようだ」とある。力道山起死回生のビッグイベントの直後のテーマのない地方興行だけに、選手たちの手抜きはバレバレだったのであろう。テレビで観るものとの格差を感じたのかもしれない。それでも幸一少年は、ここで帰らず熱心に見入っていたから、ああいうプロレスマニアの兵になったのだろう。力道山だけでなく、オルテガやエンリケ・トーレス、ミスター・アトミック、ダニー・プレチェスを生で観られたのだから興奮だったはず。そういえば「トーレスは最高に良かったですよ」って言っていたなあ。それが唯一無二の海外プロレス通になるための第一歩だったのであろう。

力道山死後に諏訪へプロレスが来たのが1967年8月1日。「上諏訪市市営球場」で日本プロレス『第1次サマー・シリーズ』第7戦が行われている。先ほどの下諏訪スタジアムへ行った時にそこの管理人さんから興味深い証言が取れた。「私が高校の時に競馬場の跡地でプロレスがあって、そこで入場整理のアルバイトをしていたのよ。まだ、今の清水町球場ができる前。今の球場とは少し位置が違うよ。球場というよりもただの更地だったね。お客の整理を忘れて試合を観ていたら、ヤクザみたいな主催者にこっぴどく怒られたよ(笑)」。この方の記憶が正しければ1958年のように上諏訪市市営球場という名前で客を集めているが、この時は最初の球場を潰して一度更地になっていたのかもしれない。どっちにしろ、航空写真のように競馬場の内馬場あたりに球場があったことは間違いない。この時のメインが馬場&猪木&大木vsヘスス・オルテガ&タンク・モーガン&アート・マハリック。セミが吉村vsアントニオ・プグリシーであった。そうか、オルテガは下社(下諏訪)も上社(上諏訪)にも参っているんだな…。2代目の上諏訪市市営球場(現・清水町球場)は1970年に県の施設として完成し、その横に前述の諏訪湖スポーツセンターが翌年できる。そこから諏訪地方のプロレスは屋内へと移行する。

その前に1970年に最後の野外プロレスが行われている。それは9月2日に開催された日本プロレス『第6回サマー・ビッグ・シリーズ』第10戦の岡谷市営球場(正式名称は市営岡谷球場)。ここも前述の下諏訪町営球場と同じ1949年8月に竣工し、翌年7月に東急フライヤーズvs近鉄バッファローズが公式戦として行われ、プロ野球はセ・パ2試合で開催されている。傾斜地にありながらも両翼92m、中堅122m。メインは馬場&大木&吉村vsアブドーラ・ザ・ブッチャー&ミスター・アトミック&ジャッキー・ファーゴ。アトミックは11年ぶりに見る諏訪湖だった。セミは猪木vsカール・ハイジンガー、坂口vsミステリー・ザ・オレゴン(リッキー・ロメロの実弟)。なんとこの日の興行は7500人をマークしていて、同シリーズで3番目の動員数だった。私が名産の鰻を食した岡谷はかつて製糸業が栄え、信州味噌の生産、後に時計、カメラ、電気部品や精密機械工業などで発展した町。そんな活気ある市民たちが坂道を登り、諏訪湖を望む球場に足を運び、初来日の“ステテコ黒人”(ブッチャー)の場外乱闘を観て狂喜したのであろう。

岡谷の球場が使われたのは、この一回のみ。1975年、湖畔に岡谷市民総合体育館(現在の東館)ができたので、屋内関係のスポーツ機能はそこへ移った。ただ、この体育館がプロレスで使用されたのかどうか、今回は調べていない。メキシコへ行くため、タイムアップ…。ここまでの諏訪湖周辺の球場プロレスの研究成果…一番喜んでくれているのは吉澤さんだと思う。私もみなさんを無視して、吉澤さんに向けてだけ発信していました。お許しあれ…。現地調査を終えた私は吉澤さんが懇意にしていた“豪傑騎手”奥村福人さん(力道山に黄金銃を譲った話は第649回参照)が2代目オーナーだった超人気店『太養パン』で「明日のパン」を買って帰路につきました。おしまい…。