ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第703回】憧れのポーズ写真(3)

先週は北海道へ4泊5日で行ってきました。道内は記録的な大雪で、特に道東の帯広管区は観測史上初のドカ雪。私のいた日高管区はほとんど雪がなくて快適だった。ところが全国的な大雪で飛行機の便が乱れ、晴れているのに千歳空港に到着する便が遅れ、私が帰京する便の出発は何と3時間も遅延に…。千歳発が23:15で、羽田着は午前1時過ぎ。国内線の深夜便(?)は初体験。息子に車で羽田へ迎えに来てもらって自宅に戻ったのは午前2時を回っていた。首都圏がもし雪だったら、もっと大変なことになっただろう。思い出せば、今から57年前、1968年2月。15日、東京に大雪が降って羽田空港が閉鎖になり、初来日のハーリー・レイスとディック・マードックを始め、バロン・フォン・シクルナ、バディ・オースチン、テネシー・レベル(マイク・パドーシス)らガイジン勢を乗せた便は羽田に降りれず千歳に緊急着陸。16日も羽田の除雪が出来ずに同日、後楽園ホールで行われる『ダイナミック・シリーズ』開幕戦は、払い戻しで無料となった。試合は日本人選手だけで行われ、セミがヤマハブラザースvsミツ・ヒライ&高千穂明久。メインはジャイアント馬場vs吉村道明でアントニオ猪木がレフェリー。珍しい逆さ押さえ込みで馬場の勝ちだった。馬場vs猪木で、吉村がレフェリーだったらいいのに…と思ったのは、清水少年だけではあるまい。

MMのフロント・ダブル・バイセップスは珍しい。

さて、先々週と先週、ファイティングポーズについて書いてきたので、今週もその続きを…。かつて、どの団体もシリーズの開幕戦でガイジンのポーズ撮影が恒例になっていた事は既に触れた。この時にカメラマンたちは一枚撮るごとに「ネクスト・ポーズ・プリーズ」とか言って、別のポーズを注文する。3、4種類くらいチェンジすると、選手たちは持ちネタがなくなって、やや苛ついてくる。それはアメリカ人だけでなく、日本人も同様だ。撮られ慣れていないというのが正直なところだろう。ところが、それがメキシコ人となるとガラリと変わる。「オートロ・ポセ」(別のポーズを)と頼む前にどんどん違うポーズをやってくれる。放置しておけば20種類くらい平気でカンビオ(チェンジ)する。持ちネタのバリエーションは実に豊富なのだ。かつてアレナ・メヒコの控室の一番端の部屋はカメラマンたちの控室になっていて、そこは選手のポーズを撮るための部屋でもあった。出入口には係の人間がいて、彼に頼むと「マスカラ・アニョ・ドスミル! 着替えたらこっち来てくれ。フォトグラフォ(カメラマン)が待っているぞ」と奥の控室に向かって叫ぶ。暫くすると、フルコスチュームのドスミルが撮影ルームに入って来るという手筈。「カパ(マント)は着けるか、ベルトはどうする?」って感じで撮影が始まるのだ。

ここがかつて存在したアレナ・メヒコの撮影用控室。

ミル・マスカラス、ドス・カラス、エル・ロストロ、エル・スプレモ、ゲレーロ・アステカらボディビルの選手から転向したルチャドールは、観られること、撮られることに慣れている。背中の広がりと逆三角形を強調する「フロント ラットスプレッド」。横から胸の厚みを見せる「サイドチェスト」。僧帽筋と肩の広さ、腕の太さをアピールする「モスト・マスキュラー」などがビルター→ルチャドールで、よく使われる基本ポーズだ。アメリカ人でこういうポーズを取るのはアート・セーラー・トーマスとかビリー・グラハムなどビルダー上がりの選手に限られる。メキシコにはルチャドールたちだけのボディビル大会もあるので、彼らはポージングにはうるさい。メキシカンのルチャドールがビルダーたちのように試合前にアセイテ(オイル)を身体に塗るのは、筋肉の見栄えを良くするためで、関節を取らせないためではない。「背中に塗ってくれ」と頼まれ、試合前マスカラスやソリタリオにオイルを塗ったものだ。マントを着るのを手伝ったり、チャンピオンベルトの後ろを止めるのはいいけど、これは手がヌルヌルになるので好きではない。

ドス・カラスのフロント・ラットスプレッド。

ポーズが上手いのはボディビルターからの影響だけではない。1950年代から90年代のルチャの雑誌の中身は、試合写真は少しで、大半はポーズ写真を使った個人のクローズアップものやインタビューばかり。選手たちはアレナの控室だけでなく、自宅やアレナの屋上、野外ロケなどでポーズ写真を撮られ慣れているのである。彼らはどういう角度からどう撮られれば自分が格好良く見えるかというのをジムの鏡に写して研究をしているのだ。ナルシストでないとルチャドールにはなれない。筋肉を強調するマッチョタイプではないエル・ソリタリオは、そっちのスタイリッシュ系である。あえて視線をカメラから外す、斜に構えて腰を捻る、片膝だけを着く…などなどカメラのアングルを計算しながらポーズを一つ、また一つ決めるのだ。

フィロメナ(ソバット)へ行く威嚇の腰捻りポーズは美しい。

そうしたいろいろのポージングの中で、座るというスタイルがある。アメリカのレスラーならばスタジオに椅子を持って来て座る選手を見かける。ディック・ハットン、ザ・デストロイヤー、ドン・レオ・ジョナサン、ジェス・オルテガなど、椅子に腰かけた写真が有名だ。だが、メキシカンはヤンキー座りに似たしゃがむような座り方でポーズを作る。アメリカでは「アジアンスクワット」と言われ、東洋人にしか出来ない?と言われている腰の下ろし方だ。でも同じモンゴロイドのメキシカンは好んでこのポーズを取る。実はかなり以前からあったポーズの一つなのだが、これは雑誌の編集者が好むポーズで、カメラマンも「シエンタテ・ポル・ファボール」(座ってください)と選手に注文を出すことが多い。なぜならば、この座ったポーズが立ったポーズよりも雑誌の表紙にピッタリはまるからだ。「ルチャ・リブレ」誌や「KO」誌などロゴの小さい雑誌にはピッタリ来る。特に全盛期の「ルチャ・リブレ」誌は座りポーズの表紙が多い。

座りポーズは表紙にぴったりハマる。

次に2人、もしくは3人でのポーズを検証する。まず2人の場合…例えば何度も何度も遭遇したマスカラス兄弟の撮影シーンを観察しよう。最初は両手を組んだり、手を広げたり、背中合わせになったり、左右のバランスが取れたポーズを取る。「オートロ」(別の)を繰り返して注文すると、そのうちにマスカラスが弟のドス・カラスに「お前が座れ」と指示する。そこで左右から上下の形の構図になる。これはアメリカのタッグチームではあまり見られない構図だ。実はここに暗黙の了解がある。それは「格下の選手が座る」ということ。だから、マスカラス兄弟のポーズ写真でマスカラスが下になることは無い。ただし、パートナーがエル・サントやブルー・デモンとなると、さすがのマスカラスも座らざるをえないのだ。

76年当時、グラン・マルクスの方がサングレ・チカナより格上。

次にトリオでのポーズ。ここでの立ちポーズはロス・エスパント、ビジャノス、ブラソスらの兄弟は別として基本、センターが格上の選手となる。兄弟でもマスカラス三兄弟となると、やはりセンターは兄貴になる。そして自分が座ることはまずない。座るのはシコデリコとドス・カラスだ。ポーズの話ではないが、マスカラス絡みの6人タッグには知られざる法則がある。マスカラスは格上なのでリングインするとセンターに立って写真撮影に応じる。しかし、決してカピタン(キャプテン)にはならない。メキシコの6人タッグ=レレボス・デ・アウストラリアノス(いわゆる国際プロレスでやったキャプテンフォールマッチ)は元来3本勝負で、1本を取られる時にはキャプテンがフォールされないと成立しない。つまりマスカラスは、それを回避するために別のパートナーをキャプテンにするのだ。それはサントやデモンのいなくなった80年代後半の話だが、いかにもマスカラスらしい…と思う。あれだけあった紙媒体…ルチャの専門誌が壊滅し、控室にマスコミを入れなくなった今、ルチャドールたちのポージングの質と個性はどう保たれているのか、はたまた低下しているのか、どうなのだろうか。

大先輩のサントとデモンが一緒だとMMは格下。
三兄弟だとMMがセンターで弟たちは“お座り”。

-ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅