先週と先々週は盛岡のプロレスについて書いた。ついでなので、私が岩手県営体育館でみちのくプロレスを観た後、どんな旅をしていたのかを書こうと思う。試合後、パンテーラ親子と盛岡市内でディナーを楽しんだ翌日、私は八幡平を目指した。日本全国を旅して来た私だけど、実は八幡平は初めてなのだ。出来れば八幡平の湿原を巡りたいと計画していた。ただし、心配だったのは季節。標高1600mある八幡平はもう雪なのか? ワインディングを攻めて標高1000mの御在所という所まで登って来たけど、その先「八幡平アスピーテライン」はこの日から冬季閉鎖。見ると山々は真っ白に雪化粧していた。天気も悪いし、ノーマルタイヤなので無理せず素直に下山。もっと事前調査しておけば良かったと思いつつ、観光協会でいろんな資料をかき集める。どの時期にどこへ来ればいいのかなど、いろんな情報を入手出来ただけでも来た甲斐があった。来年、別の季節にアタックしよう。

松川温泉に入って八幡平の麓で一泊。翌日は岩手山麓を時計回りしながら、秋田県へ入る。そして一度行ってみたいと思っていた憧れの乳頭温泉へ。7つある源泉宿の湯に2日間で4つ入る。さらに田沢湖を一周。ここから南下して湯沢城、稲庭城を登ろうかなと思っていたが、3日前に湯沢市の山林で79歳の女性が熊に殺害される事件が起きたので中止。ここで帰京しようか考えたが、予報を見ると、この先数日間、東北地方の天気が良い。秋田駒ケ岳の登山基地でもある国見温泉に浸かりながら計画を練り直す。関東も東北も10月末からずっと天気が悪かった。でも久しぶりの好天だ……このチャンスを捨てて帰るのはもったいないと、あと2日滞在を延ばす。そこで昨秋の『ふく面ワールドリーグ戦』の後でどうしても寄ることの出来なかった場所へ行くことにした。


それが「花巻東高等学校」です! ちょうどワールドシリーズをドジャースが劇的に連覇したばかりだから、とってもタイムリー。第6戦は盛岡へ行く車内で、第7戦は盛岡のホテルのテレビで、しっかり優勝を見届けてから県営体育館へ行っている(ぬかりなし!)。学校の前には大きな無料駐車場もあって、校門前でしっかり記念撮影(夕方だったけど観光客もチラホラいました)。選手の出身校へ来たのはジャンボ鶴田の山梨県立日川高校以来だろうか。いやいや、その後に馬場さんの三条実業高校(現・三条商業高校)に行ったっけ……。それはそうと、花巻東は素晴らしい環境だった。校門横から野球のグラウンドへ向かう広い松林の散策路が特に良かった。ここを菊池雄星や大谷翔平が走ったのだろうか。練習グラウンドもかなり本格的。バックネット裏には両メジャーリーガーの手形と、同時2桁勝利達成(2023)の記念モニュメントがあった。さらに大谷のMVP記念や佐々木麟太郎の高校生最多本塁打記録のモニュメントを、ちょうど設置している最中だった。数年でここはボードだらけになってしまうのではないかなあ。馬場さんもジャンボも、お墓だけでなく、母校にこういう記念モニュメントのようなものがあったらいいなとも思った(NWAとAWA奪取のメジャーリーガー?として……)。

金ヶ崎で一泊し、翌日は熊スプレーを携帯して一関の山中を数箇所ウロウロした後、気仙沼へ出る。気仙沼に来るのは20年ぶりくらいか……。その間、2011年にあの東日本大震災があった。昨年秋は釜石から久慈まで三陸海岸を北上して、復興せんとする被災地を目の当たりにしたが、今回は三陸の南部を走ることにした。奇跡の一本松のある陸前高田まで行くと、震災の爪痕は今もはっきり残り、未整備の空き地が荒涼といった感じで続いていて胸が痛んだ。そしてここから一気に三陸海岸線を石巻まで南下する。私がどうしても行きたかった記念館へ……。登米の「石ノ森章太郎記念館」ではありません。それは「サン・ファン館 宮城県慶長使節船ミュージアム」。

このコラムで何度も触れている慶長遣欧使節とは、伊達政宗がメキシコ(スペイン領ヌエバ・エスパーニャ)との直接貿易が出来るよう、スペイン国王、ローマ教皇へ親書を贈るため派遣された外交使節のこと。ここは政宗の家臣・支倉常長率いる約180名の使節団がサン・ファン・バウティスタ号で出航したとされる月の浦湾にあるミュージアムだ。この船が1613年10月に出港して太平洋を渡り、アカプルコに辿り着いたのが1614年3月。ここから3ヵ月掛けてメキシコシティへ渡った支倉常長一行の航海は、壮絶なものだったであろうと思う。アカプルコ港では役人や貴族たちが使節団をラッパや太鼓を鳴らして出迎えたという。一行はサンディエゴ要塞の“王の館”に宿泊し、牛追い祭りでもてなされたとある。そんな私の知らない話も、たくさんこのミュージアムで学ぶことが出来た。

かつてここにあった実物大のサン・ファン・バウティスタ号の復元船は東日本大震災で大きな被害を受け、一度は修復されるも、2022年に老朽化で解体された。現在ある2代目の復元船は2024年に完成したもの。実物の4分の1スケールらしい。2013年にミステル・カカオ主催の「覆面マニア」に特別バイザーとしてリスマルクが来日した(私もトークショーをやらせてもらった)。あの後、梅本さんはリスマルクを知り合いの仙台のお寺に数日泊めさせている。私は「もし可能ならばサン・ファン・バウティスタ号の復元船を見せに月の浦に連れて行ってください」と頼んだが、残念ながら叶わなかった。震災から2年経ったとはいえ、私自身、復元船が津波で大ダメージを受けていたことを知らなかった。実際に現場に来ると、その時に津波が到達した高さは異常なものだった。津波で初代の復元船は8メートルも浮き上がり、ドッグ内で大破したという。

あれから2年後にリスマルクは66歳の若さで心臓を患い亡くなった。あれから12月で丸10年になる。私は2代目復元船と月の浦の前に広がる真っ青な太平洋を眺めながら、“アカプルコの青い翼”のことを思い出した。地元のアカプルコで最初に彼と出会った日のこと、初来日で我が家に遊びに来たこと、私と妻とリスマルク夫妻とでアカプルコのディナーを楽しんだこと、彼が亡くなる年の独立記念日に私のホテルにやって来て、いろんな話をゆっくりしたこと。この月の浦の広い海と、彼の生まれ育ったアカプルコが点と点で結ばれているのかと思うと、何か不思議な気がした。私はこの後、松島の瑞巌寺へ寄って帰京したが、いつまでも目からドジャーブルーが、いや月の浦のオーシャンブルーが離れずにいた。そこで来週は特別な事件が起きないなら、懐かしいアカプルコについて書いてみようと思う。
