10日の金曜日は“ワフー”こと水野佳昭くんの還暦祝いで懐かしい現役&プロレスマスコミOBたちと盃を傾けた。ワフーは1978年頃、マニアックス(月刊ゴング近衛兵?)主催のプロレス8ミリ大会の常連だった。当時、ワフーは中学1年生、小佐野景浩くんや小林和朋くんが高校生、私が大学4年だった。8ミリ大会のお客さんで最年少の彼は竹内さんに可愛がられていた。そして当時、外国のプロレスTシャツなど超珍しかった時代に何かの抽選でワフー・マクダニエルのシャツが彼に当たった。以後、イベントがある度にそのTシャツを着て来たので、我々が“ワフー”と呼ぶようになった…47年前の話である。実家は南千住の浄土宗回向院。そこは江戸時代の小塚原と呼ばれる処刑地があった場所で、吉田松陰の墓所もある。ワフーはお寺を継いでここの住職になった。2017年にカール・ゴッチのお骨が持ち込まれ、お墓がここに建立されたのも彼がプロレスファンだったから出来たことである。あのワフーが還暦だもんなあ…私を含め、彼より先輩のみんな、歳を取ったと実感させられた。小林クンが彼のためにワフーのイラストの入った赤いTシャツを作ってプレゼントした。童顔だったフワーは狼酋長ワフー・マクダニエルにそっくりになっていた。いい感じに老けたと思う。それにしても楽しい夜だった。

13日の夜はカブキさんのお店へ行った。25日(土=12時~)の閉店処分のオークションの打ち合わせを兼ねての飲み会だった。出品(上場)するものの最終チェックをしていると、2階からお店に飾っていないパネルや額付きの写真等いっぱい出て来た。これらはオークションにかけずに1000円~2000円くらいの安価でどんどんさばいてしまおうということになった。「変に残ってしまうのが一番困るので…」と安子夫人。だから低価格帯の品をたくさん狙う方にも是非、参加してほしいと思う。出来るだけその日に持って帰ってもらうのがベストだが、預けておいて完全に閉める前にお店に取りに来るのも、要相談でOKということにした。さて、私が先週書いた「三沢光晴のジャンパー」は欠場となったことをお断りしておく。さて、その代わりと言ったら何だが、今回、凄い掘り出し物のお宝を発見した。それはカブキさんがアメリカと日本で実際に着用していた忍者風の頭巾だ。これでアメリカの会場の出入りをし、人の多い場所など移動時に使ったという目出しマスクだ。「カタビラもそうだけど、これも私がアメリカで自分で手造りしたものなんですよ」とカブキさん。おお、それは凄いじゃないか。それがお店の便所に近い所に何気なくぶる下がってしたのだ。常連さんで気づいた方はいたのだろうか…。唯一無二、「自作・実使用」という点でかなり価値が高いものと判断してオークションのオオトリは、これになりそうだ。

他にも先週触れたカブキさんの鎖かたびらの忍者頭巾、カブキ等身大パネル、カブキ油絵(大・小)、各種イラストもろもろ。新発見品ではカブキさんの木製大相撲番付ボード、グレート・カブキのビックリマンシール(実物大の本物)などのお宝も出土(!?)。カブキもの以外ではスタン・ハンセンの実使用テンガロンハット、復活初代タイガーマスクのシルバーマスク、マジック・ドラゴンのマスク、ドリーのジャンパーなど貴重品が次々上場される。狙いを定めてビッドするのも良し、軒並みビッドしていくのも良し、ラストチャンスに落としそびれのないようにしていただきたい。予約方法…「かぶき うぃずふぁみりぃ」のfacebook のメッセンジャーで申し込み受付中。まだ、空きがあるので、参加希望の方はお早めに。

さて、その翌日、26日(日=12時半~)は『闘道館』にてビバ・ラ・ルチャVol.『ドクトル・ルチャと行くルチャ・リブレツアー帰国報告会&エル・パンテーラのトーク&マスク即売会』である。

今回のメキシコの旅にはPontaが常に同行していた。2年前と同じように…。そう、2年前のツアーでは岡田清二クンがPontaを連れ回して会場や街角で撮影していた。前に触れたように、その岡田クンは今年春、路上で倒れ、緊急搬送されて意識不明となった。マイティ井上さんの死因と同じ心室細動だった。九死に一生…一命をとりとめた岡田クンはやっと意識をとり戻し、現在はリハビリを開始している。来年1月に心臓の再手術をするらしい。彼はルチャが大好きで(特に好きなのはエル・ナシ、愛するのはリスマルク)。クラッシックなルチャやグアテマラのルチャの研究をするのが彼のライフワークで、“トマス大学”の博士号?を持つドクトル後継者の一人。今回のツアーも倒れる前から「9月はドクトルツアーに絶対に行きます」と宣言していたのだ。だから私たちは岡田クンの「行きたい!!」気持ちを乗せて11290キロ×2の東京~メキシコシティの空の旅、メキシコシティ~グアダラハラの陸路と空路にPontaを同行させた。ある時はリングサイドで、ある時はジムで、選手宅、マスク工房、観光地、レストランに、岡田クンはPontaとなって我々と一緒に行動していた…。




現地でドス・カラス、エル・サタニコから岡田クンへ向けての励ましのビデオメッセージを貰った。バスツアーに同乗してくれたドス・カラスは「元気かい、岡田さん。早くアナタの病気を治りますように神のご加護のもと祈っていますよ。今回メキシコに来られなかったのは残念ですが、次回来られる機会があればメヒコでお待ちしています」というもの。サタニコからは「セニョール・オカダ。メヒコのルードNo.1のダニエル・ロペス、エル・サタニコだ。病気から回復してグアダラハラのここのジムに来て私たちに会いに来てほしい。俺は神に祈っているぜ。頑張れよ、セニョール・オカダ」と…赤い悪魔から神のご加護をという言葉を引き出した。それらを病床でお兄さんのイジリー岡田さんが弟に見せたようだ。するとイジリーさんから「ムーチャス・グラシアス」と小声で話す岡田クンの姿が動画として返信されて来た。「ええっ、喋れるの! は、反応しているじゃない。それもスペイン語で…」と歓喜する。と言うことで、26日も闘道館も、初回からのビバ・ラの常連・岡田クン最前列指定席で、Pontaが私たちの報告会とパンテーラを見守ることとなる。メヒコより先に岡田クンにはPontaではなく、元気な姿で闘道館へ来てほしいと願っている。

パンテーラは当日、親子で来場することになる。前日、新木場で父親とタッグを組むパンテーラ・ジュニアも今回のこのイベントに興味があるようだ。オファーしていないのに来る気満々らしい。パンテーラは今回、奥さん同伴での来日となる。盛岡に長期滞在中のジュニアも久しぶりにママに甘えたいのだろう。親子水入らず数日間の東京を楽しむらしい。現在、私はケレタロに居る父親のパンテーラとドクトル新マスクの製作で、ああだこうだと連絡を取り合っている。新マスクは完成の域に…。実は今回、私は2枚のマスクをオーダーした。「今は2枚目に取り掛かっているよ」とのこと。公開はイベント当日…お楽しみにしてください(もちろん私も楽しみ!)。さて即売会だが、それはパンテーラ自身のマスクが主力商品となろう。ジュニアも来るから彼もマスクを売りたいのかもしれない。私はパンテーラ父に「貴方のマスクも必要だけど、このイベント用に何か別の選手のマスクも持って来てくれ」と頼んだ。さらに「日本人のマニアは実際に選手へ納品実績のマスクをほしがる。だからそういうものを持って来てほしい」と補足した。すると「私関連ならば、アメリカ、トリトン…。あの時代、作ったことあるのはシクロン・ラミレスとアギラ・ソリタリア。彼らのハーフやコンビネーションのマスクなら作れる」。90年末にパンテーラはシクロン&アギラと“ラス・サエタス・デル・リング”(リングの矢)というトリオチームを結成したのは有名な話。「それ以外で、実際に作って納品したことのあるのはラヨ・デ・ハリスコ親子、ビジャノス、ディナミタ(シエン・カラス3兄弟)、ペガソ(シクロンの前身)、エル・シコデリコ…なんかは型紙も残っているはず。OK、日本行きまで頑張って作ってみるよ」。私は「貴方の家の倉庫に眠っているものが何かあれば持ってきてくれ」と追い打ちを掛ける。「OK、トマス」と言うことで、どんなマスクが来日して何が闘道館のイベントに登場するか…メキシコ人だから、これだけは来てみないとわからない。もしレアなものや競争が殺到しそうなものがあったら、そこはオークション形式にするかもしれない。えっ、2日連続オークション!?それも大変だけど頑張るしかないね。