ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅

【第681回】巌流島の答え合わせ

最初に次回のトークショーのネタが決定したのでポスターを公開します。テーマは『日本プロレス史上最も長い日  巌流島仕掛人vsゴング特別取材班』。これは当時、新日本営業部次長で巌流島担当席責任者の上井文彦氏(リモート出演)と、ゴング編集部取材班キャップの私&新日本担当・小林和朋記者によるガチンコ・トークバトルだ。37年前のあの日、実は早朝から夜まで新日本とマスコミの化かし合いであった。アントニオ猪木vsマサ斎藤の死闘の舞台裏で巌流島の仕掛人であった上井氏がどう動いて、我々がどういう作戦で対処し、渾身の一冊を作ったのか。テレ朝の特番やビデオだけでは決してわからない駆け引きが前日夕刻から水面下で進行していたのだ。上井氏が保管する当時の㊙重要書類と、私たちの取材ノートを証拠物件として擦り合わせ、お互いの手の内を初披露する。それは37年目の答え合わせ…あの日、あの無人島の中と外で、私たちも、上井氏もお互いに知らない驚愕の事実が次々と判明していく。それは日本プロレス史に残る「プロジェクトWX」。仕込みvs出し抜き…その舞台裏をガチで検証する。正直言って、これは超面白いよ。アントニオ猪木ファン、昭和の新日本ファン、昭和ぎりぎりのプロレスファンの方たちには、是非、ご来場願いたい。あの巌流島は無観客だったので、今回の料金は最安値に設定しています。謎多き決闘の島を覗きに来てください。

クロネコでナウカルパン・タッグを奪取。

 先週、29日に親友のビジャノ5号(ライムンド・ディアス・メンドーサ)が亡くなった。愛称はムンド。あのレイ・メンドーサの四男。1962年3月22日生まれだから享年62歳。ムンドとは近年フェイスブックでずっと連絡を取り合っていた仲で、愛妻のシェリーさん(レネ・グアハルドの長女)を亡くしてお悔みをしたばかりだったので、まさか、後追いかとまで思った人も多いはず。それほどアツアツの熟年結婚で、睦まじい仲だった。友人のクリスチャン・シメットに聞くと、自宅で脳卒中で倒れたのだと。62…まだ亡くなる歳じゃないよ。

2017年8月、ムンドとシェリーと。

ムンドに初めて会ったのは1979年のアレナ・ソチミルコ。控室でレイ・メンドーサが「こいつは私の四番目の息子なんだ」と紹介してくれた。「ロカンボレ…なんでビジャノ4号じゃないの?」と聞くと、「デビューして3年目。まだ、ビジャノを名乗るほどではね。親父の許可で出るようになるまで頑張るよ」と笑っていた。その頃のムンドは痩せてスラッとしており、トルーカ・ウェルター級やメキシコ州とアッサコアルコ、ネッサワルコヨのライト級などローカル王座をたくさん獲っていた。私が日本に帰ってからクロネコと組んでグラン浜田&ブルー・パンテルからナウカルパン・タッグ王座を獲ったというニュースが入った。「やるじゃないか、ロカンボレ」と彼を密かに応援するようになっていた。82年8月22日、パラシオでのエル・サント引退興行で、サント&エル・ソリタリオの相手を務めたのが三男アルトゥーロ=ビジャノ3号とロカンボレだった。たった2年でロカンボレは大きく成長していた。彼はビジャノにならなくても、ロカンボレとしての人気を得ていた。逆に五男のトマス=レオパルド・ネグロは父が引退する83年にビジャノ4号に変身。ロカンボレを捨ててビジャノ5号になったのは85年3月と一番遅かった。私個人の意見としてはビジャノスの中に溶け込んでしまうより、ロカンボレでいた方が彼の個性が出ていたように思う。

1982年で聖者引退の相手に大抜擢された。

88年4月に新日本に弟の4号とともに初来日、最も輝いたのは88年10月のモンテレイで1号と4号と組んでロス・トレス・ブラソスのマスクを剥いだことだろう。2008年のアニベルサリオでブルー・パンテルのマスクを剥ぐも、09年3月にウルティモ・ゲレーロに敗れてマスクを脱ぐ。素顔になってからはレイ・メンドーサ・ジュニアを名乗るが、2017年に現役を退いた。現役から長年にわたって歯科医師をしていたが、シェリーさんの故郷モンテレイに引っ越してからは、日本で覚えた吸玉治療の医院を開業していた。

歯科医もしたし、吸玉治療もした。

2013年と14年にはムンドの自宅へお邪魔した。家の中はマスクやチャンピオンベルト、トロフィー、写真、壁画など、いろんなグッズで埋め尽くされていた。そこには自分だけでなく、父レイ・メンドーサと母ルピータさんへの敬意と、兄弟たちへの愛情が溢れていた。メキシコ人の家族愛は本当に美しいと思った。ムンドには父メンドーサの思い出をもっとたくさん聞いておけばよかったと、後悔が残る。ビジャノスで残ったのはトマス=4号だけ…兄を全員亡くした彼は寂しい思いをしているだろう。メヒコへ行ったら、トカヨ(トマス)に会って、労いの言葉を掛けてあげたい。一緒にメンドーサ&ビジャノス一家のお墓参り行きたい。

2013年に自宅を訪問。取られたマスクが…。
こんな巨大なマスクもあった。

それにしても何で、そんな早く逝っちゃうのよ…。Mundo, Discanse en paz

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