先週に引き続き新作のドクトルマスクについて書こう。神戸のSolluna林雅弘くんの基地での新マスクのプラン&初期工程の部分から…。ベースは青のゴムラメ。目鼻は前のマスクの作者・加藤賢さんのデザインをそのまま残して、流用しようと決定。ただ、目の色は私の希望で金色にする。マスカラスの青ラメのトレードの時、銀のフチドリ(78年夏に使用)よりも、金のフチドリ(82年2月2日岐阜のvsニック・ボックウインクル)のほうが遠目にも顔立ちがはっきりしていたからだ。青と黄色の配色がスウェーデンやウクライナの国旗のように映える。
林くんは「それならば鼻のアギラ(鷲)と馬は銀にしましょう」と言う。なるほど、シルバーの馬はいいね。白馬のソダシのイメージか。いや、私のイメージは米二冠馬シルバーチャームだな…。金の革も、銀の革もしっとり落ち着いた色合いだ。「これらの使用する革はプエブラのアレハンドロ(・ロドリゲス)さんの所からもらったものなんですよ。あの人は昔からグアダラハラに革を買い付けに行っていたんです。だからこれらの革はすべてグアダラハラ製なんですよ」。このマスクの型紙がプエブラのマスカラスと同じというだけでない。革からもプエブラの雰囲気を醸し出しているというわけだ。
「馬のフチドリは赤にしましょう。どの色の赤にしますか」と3種類の赤い革を出される。私は明るくもなく、黒味がかったものでもない中間の色を選んだ。林くんは私の書いた馬の絵にフチドリ部分も付け足して、それを両方切り抜き、その型に合わせて革をカットする。「馬の目の中は何色にしましょうか。馬が銀(白)で、フチが赤ですから、メキシコ国旗をイメージして緑にしますか。ならば緑ゴムラメをいれましょう」。何と贅沢なお目々さんである。眉間の蹄鉄は銀に決まったが、額のLの字を何のデザインにするかで、2人は1時間くらい悩んだ。加藤製では常にそこが馬だった。でも、ここも馬ではしつこい。お互いメキシコのイメージを出そうと知恵を絞り合う。私はチャクモール(古代アステカ、マヤの生贄の心臓を供える人物像)にしようとしたが、図案化すると何か間が抜けてしまう。
すると林くんがオンブレ・アギラ(アステカの鷲の被り物をした戦士)の絵を描き始めた。ナワトル語で「クァクァウティン」と言い、アステカのエリート貴族戦士団のことだ。「闘道館」の泉館長と一緒に行ったテンプロ・マヨール遺跡&博物館で実物の鷲の戦士を見て感激したのを思い出す。カネックやドクトル・ワグナー・ジュニアが側面にこのデザインを入れているマスクもある。一般的に一番有名なのはメキシコ最大のアエロメヒコ航空のシンボルマークに使用されていることだろう。世界のレイ・ミステリオの数々のマスクをデザインしてきた林くんはするするとオンブレ・アギラをLの字の図案化してみせた。鷲の首をアステカ風の模様にしたり、戦士の目も蹄鉄にしたり、なかなか細かい。「どうせだから、鷲の顔はドス・カラスのと同じにしましょうか。鷲の首筋にも緑ゴムラメを入れますよ」。額のマークは予想を遥かに上回る豪華な細工となる。
ここまで相談を重ね、初期作業をして約7時間。仕上げは林くんにお任せして、私は神戸を去った。頭の中ではイメージは出来ているけど、実際に完成したマスクを手にしないと、やはり実感がわかない。ゴールデンウイーク、林くんも多忙だったようなので、完成品が届いたのは「闘道館」でトークショーが開演する1時間前だった。それにしても、この歳になって、これほどドキドキする贈り物を受け取ったことはない。実際に手に取ったときの第一声が「カッコイイ!」だった。それもそのはず、大きな皿の型はもちろん、革も、裏地も、すべてプエブラ素材。つまりプエブラ製のマスカラスのテーストが満載のマスクだったからカッコ悪いわけがない。
林くんは後述する。「それはドクトルのマスクじゃなくて、マスカラス本人のものと言ってもおかしくないですよ。マスカラスが被っても絶対に似合うはずです」。“ああ、あの御仁に見せたら持って行かれそうだ”…。林くんはミステリオのマスカレーロとして有名を馳せた後も、メキシコに何十回も行き、その際には必ずプエブラへ行ってアレハンドロからマンツーマンンで奥義を習得していた。そうした努力がこのマスクに活かされていると言っていいだろう。「僕のステッチ以外は、ぼぼプエブラテーストと言っていいでしょうね(笑)」。
トークショーの日は気づかなかったけど、改めてマスクの細部を確認してみる。アギラの目の中がオレンジになっていた。林くんに確認すると「それは赤の旧ラメです」と言う。オンブレ・アギラの戦士の顔…蹄鉄の型にカットされた目の中も黒っぽいラメが覗く。「それは黒の旧ラメです」。唸る私…。額の銀色の蹄鉄と両目の銀色の蹄鉄…これらの小さな釘穴の中を覗いてみる。この中はベースの青ゴムラメなのか、いや、ちょっと違う青に見えるぞ。「ナニこれ…」。「それはリスマルクが昔、使っていたようなくすんだ青の旧ラメです。実はそれ、アレハンドロが“FUJI JAPAN”(80年8月21日、後楽園ホールでの富士山のオーバーマスク)を作った時の残り布の旧ラメですよ」。そういえばアレハンドロの家に行った時に残り布の山が積まれていて、そこを掘り起こすと歴史的なマスクの切れ端がいろいろ出てきたのを思い出す。旧ラメとは古き良きショービジネスの時代、米国のダンサーたちの衣装として用いられていた生地で、今では超貴重品。特に黒は超レアだという。それだけではない。マスクの後ろのチャックは米国IDEAL製のいわゆる「鉄チャック」が使用されているのも、プエブラ製全盛期のオーバーマスクを彷彿とさせる凝りようだった。
正直な話、自分の新しい顔ながら、久しぶりに惚れ惚れするマスクを手にした…って感じ。暫くは一人で悦に浸ることにしよう。「これで汗をしっとり掻くと、ゴムラメが顔にフィットしてきますよ」…。「シン・ドクトルマスク」のメイキング秘話を紹介したところで、次にこのマスクを被ってみなさんの前に再登場する日が決まった。7月2日(土)、ビバ・ラ・ルチャVol.45が「闘道館」で開催決定。ゲストの小林和朋氏は81年月刊ゴング時代からの戦友だ。新日本プロレスファンクラブ『炎のファイター』の編集長(会長の小佐野景浩氏)を経て日本スポーツ出版社に入社し、月刊ゴング編集部で竹内宏介学校の門下生となった。週刊化してからは新日本の担当記者となって活躍し、私が編集長になった頃に副編集長を務める。その後は新日本プロレスのオフィシャルマガジン『闘魂スペシャル』の編集長に就任し、『20年目の検証 猪木-アリ戦の真実』、『新日本プロレス20年史』、『超戦写』、『烈闘生』、『黒の肖像』といった出版物を手掛けた辣腕の名編集者&カメラマンである。
小林氏がこうしたプロレスのトークショーに登場するのは、今回が初めてのこと。だからこそ、次回のビバ・ラはとってもレアなのだ。テーマは『猪木とマスカラスと竹内イズム』。私はゴング編集部当時、小林さんを「ヤシくん」と呼んでいた。そのヤシくんはファンクラブ時代からずっと新日本一色でやって来た人だから、テーマの「猪木」というはよくわかるが、でも「マスカラス」というのはなぜ!? そう、その秘密もトークショー当日に明かされる。つまり猪木ファンにも、マスカラスファンにも対応したトークになるということをこのテーマは示唆しているわけである。そして今月没10年になる竹内宏介編集長(当時)から学んだ教えの数々も小林くんと私の口からいろいろ披露されることになる。この三重構造のテーマを今まで私もやったことのないトークスタイルで展開したいと思う。
ヤシくんと過ごしたゴング時代は私にとって最後の青春。20代でも竹内さんと比べると、まだまだ青かった。私のマスクのように…。その青は薄いブルーから群青色へ次第に変化していったと思う。彼もこの大事な青春期を一緒に過ごしたからこそ、それを糧にして今日の「小林和朋」があるのだろう。あの頃は徹夜ばかりで、仕事の後に酒を一緒に飲んだ記憶もない。だから9年間一緒だったけど、ヤシくん自身にことで知らないこともたくさんあるはずだ。そんな置き去りにした青春時代も、懐かしの青春時代も、まとめてじっくり語り合えればいいなと思う。次回のトークイベント…これを一番楽しみにしているのは、間違いなく私自身です。
闘道館WEBサイト
https://www.toudoukan.com/